人は1Gでは社会的表現として外に仕事をするための力は発揮できない。
だから通常は身体のある一定範囲を全体質量から分離してその分離した部分を筋肉を絞り込んで加速させて1Gを越える力を生み出している。
筋肉を固めて断裂させても1Gを越えた重心を発生させてそれを力として使うことは確かにできるし、時にそのプロセスの簡便さから必要とされ筋力を鍛えることの重要性が説かれていることもわかる。時間観念が区切られている一般社会では実用的だ。
ほとんどのスポーツはそのプロセスの先にどれだけのGを発生させることができるかで競われているといっても過言ではない。
だからプロの格闘家や武道の段持ちには、それ相当のGを発生させて、使うための技術があるから、当然〇気が使えるから攻撃を防ぎ得るわけでもない。
しかし、そういった力は1Gを越せても部分的な質量しか加速できない。なぜなら体内で質量を分離してバランスを維持しながらやらないとならないからだ。1Gを越えてしまうと、他の部分で同値の逆の力を発生させないと姿勢維持できない。
そうなれば、体内でベクトルはバラバラになるから、身体の質量全体を使うということは実現しがたくなる。
(要は、咄嗟にG加速を繰り出してもバランスを崩さない身体になるように対向筋肉や感覚を鍛えるのが普通の鍛え方になるわけですね)
操作しやすい破壊力を使えるのと引き換えに弱点を作り出していると言える。
(これが弱点とならないように各々の技術的な工夫がなされているわけですね。)
ともかく普通の人は、そうやって身体は質量をバラバラに管理する代わりに、筋力を絞り込めるように鍛えて、一般の社会生活に合わせている。
親の真似、他人との集団生活の中で意識の使い方(身体の使い方)を真似ることで、1Gを越えないと何かをしたことにならない社会生活に合わせて身体の仕組みを成長させている。
ここらへんは気が付く気が付かないは別として、至極当たり前のことの解説であるが、ここに実は大きな意味が隠されている。
相手に大きなダメージを与えたければ、相手の倒れまいとする対向反射を呼び起さなければならないから、部分的な質量を加速させてGを大きくして当てればいい。
そうなると、相手は倒れないことが前提であれば、攻撃を受けた部分に対向Gを作用させるから、そこで自分と相手の力の挟み撃ちになって、組織器官が壊れる。それがダメージとなる。
しかしこの方法で相手を倒そうとした場合、相手の対向反射で起こすGよりも、上回るGで攻撃しなければならない。
つまり力には力を・・・となってしまいダメージは与えられても倒すことは困難になる。
だから急所(対向反射を防ぎにくい部位またはそのダメージが身体管理に大きく影響を与える部位)に当ててノックアウトを狙うという攻撃算段が生まれる。
相手を倒すことを目的とした場合は、相手の対向反射を起こさないGで当てればよい。
1Gで相手を攻撃すれば、相手は感知できない限り対向反射でGを起こせないから、1Gを上回る抵抗ができず倒される。
1Gでは外に仕事をするための力は発揮できないということは、発揮するためには1Gを越えるために必ず「加速」をしなければならない。加速は「距離」(一定の空間)を必要とする。
距離を必要とするからこそ、間合いは大事になるわけで、プロの格闘家やボクサーなんかを相手にすれば、その加速の間合いを使ってとんでもないGを繰り出してくるから、まともに喰らったらアウトになります。時代が違って、刀による斬り合いだったら尚更です。
この間合い0(距離0)で、接触している時に相手の使いこなす質量(1G)を突破または無効化できなければ、こちらは「〇明な力」引いては「〇気」を開発できない。(0距離で発揮する勁力に対しても基本対処は同様)
そう考えたとき、座取りの〇気上げというのは、それを会得するのに全く理に適った鍛錬方法であると言える。
(こういったことがこうやって言葉にされて伝書で残されていないことからしても、昔の人はこれが勘でわかってしまった天才ばかりだったということだろうか・・・。恐ろしい。)
そしてそれがわかると、相手が加速してGを増幅するよりも先に距離(間合い)をつぶしてしまうことで、離れていても相手は力を発揮できなくなるということがわかる。相手が使いたい空間を先に制してしまうと、それだけで相手はGを加速することができなくなってしまう。(柔道、相撲は組んだ状態からを鍛えるので、手ごわいと思われるが基本対処はこれも同様)
鍛錬においては体内に出たり入ったりしている1Gは存在を感知できないので、重量物を持ち加えることで、Gへの対応を鍛えることになるが、1Gを立ちで鍛えるために站椿(立禅)があり、これもまた静の中の動を確錬するために理に適っている。
〇気を使う武道、武術は基本的に動かないことで、総質量を確保している。つまり余計な姿勢維持の逆Gを身体に作らせないことで、身体の質量の一体化を図っている。他の武道やスポーツでは「部分加速→できるだけ全身で」・・・なのに対し〇気は基本的に「全身一致」から始まり→「力のステルス」→「相手の力の分断or相手の力の暴走」へと技巧を進化させていく。
1Gで「全身一致」を確保したまま、どうやって動き始めるかからようやく「始まる」のだ。それが身体作りになる。
動かずして身体の質量を引き出せるだけ引き出して接近し、相手が狭い空間でG加速しようとも追いつかない身体の総質量をもって相手を制してしまうのがこの技術だ。
総質量であっても1Gを越える加速をしないから、相手は体に力が加わってもそれを「力」と脳は感知できずに抵抗できなくなってしまう。そして相手の脳は対処のため自ら右脳化をして意識を飛ばしてしまうことで次の行動がとれなくなる〇気に掛かっていく。
遠間では部分的なG加速で牽制&ヒットが狙えて、接近では100%の精度で〇気が使えるとなれば、相当実用的な強さを発揮できるのでしょうが、それを実現するには若いままの肉体で200歳くらい生きられないと無理かな・・・?
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