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人はやりたいことをできない、許されない経験から、その後、自分はできなかった事が目の前で行われると嫌悪感を抱くようになる。
それは自分ができなかったことだから、それをやっている他人が許せないという点と、それを自分がやった先は経験していないので、同じ場面での対処法を知らないという心理的不安から起きる。
自分にとってそれは「やるべきではない」ことであり、それが見過ごせない状況になると、「怒り」が生じ、その先の出来事を回避しようとする。

自分の子を見ていて、「許せない」と感じるところは、これと同じで親が自分に許してくれなかったところであり、子供の他のルーズで我儘な点は気にならずにやり過ごせても、子供の行動の内、そこが取り立てて気になるということは、自分がやれなかったことの裏返しの心情・行動であるということがわかる。

子供にとっては数多ある行動の1つにも関わらず、親の態度がそこだけおかしいので、子供はそこで愛情を感じられずに、愛情を確認するためにそれを繰り返して、その面だけ成長が遅くなり、下手をして、親が対処をしなければ心理面の成長がそこで止まる。

結果として、子供はそういった親にとって嫌なところを突いてきて、それの対処を親は経験させてもらっておらず下手なので、子供に繰り返されて怒りが生じる。
怒って、ただ「社会的正当な、すべきこと」を理由も無く押し付けてしまうケースが多い。
正に意識・行動のミラーリングであり、「子は親の鏡」ということだろう。
これは子供に限らず、他人と接して、はじめて知る自分の精神・身体構造である。

他人を見ていて、その行動が怒れて仕方ないのは、自分ができなかったことを悠々とやっているからということ。
あいつのやってることはルール違反だろ!と思えるのは大抵そうだろう。
また他人がやたらに怒る態度自体が許せないのは、自分が怒ることを許されなかった経験をしているから。
(甘やかされつつも、自分よりも下が居なかった末っ子に多いのではないだろうか。)

経験のバランスというものは自分で享受する環境をコントロールできない点から、整えるのは非常に難しい。幼少の頃は尚更であって・・・。
全ての場面に対応というのは叶わない望みではあろうが、こういったことに気がつかず、自分の未解決の心理構造問題が代々世襲されてしまうのは、遺伝とか個性という言い訳をしていて良いのだろうかと疑問に感じる。
気が付かなければならないであろうことは沢山ありますなぁ。全く。

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