主人公の男に好意を寄せる女性が話し掛ける。
「バナージってさ、遠くを見るような顔をするよね。」
それに対して主人公(バナージ)はこう答える。
「たぶん、どこかを見ているのではなくて、どこにいるのかなって考えている時だと思う。何をしてもその時を本当には過ごせていないような感じがして。」
女性はこう返す。
「それなら私も感じているよ。何かズレてるような感覚のことでしょ。」
この会話、思春期の若者に特有の感性を上手く表現しているとしか普通の人は捉えないだろう。
こう表現されると確かに、自分もその頃、よく感じていたと思える。
しかし、こういった感じ方を深く考えた人がどれだけいるだろうか。
この感性を失ったとき、人はズレを前提として「大人」となり、社会に埋没する。
いや、認識の上でズレを無理に修正して正しいものとしてしまう。
本来ズレていて人間構造として正しいのだ。
しかし、大人はこのズレているという調和を崩さないことには、
この事実には再び気がつくことなく一生を終える。
合気の概念をすると、この「ズレ」や「本当の時を過ごせていない」ことの理由が解明される。
また「どこにいるのかな」の本質にもやがて気がつく。
それらが物理と一致している事実を知るにつけ、世の中の本当の姿が見えてくる。
ズレを正したとき、また「どこにいるべきか」を定めた時、ある物理現象が現れる。
きっかけはどこにでもある。
ただ、気がつく「勘」と「センス」があるかどうかだ。
そしていつでも気がつけるようにそれは常に磨いておかねばならない。
少なくとも、この表現を顕した福井晴敏は素晴らしい。
それを文学的に表現するとしたらかなり的確だ。
こういうのを文才というのだろう。
それにしてもOVA3巻は「あの頃のガンダム」って感じで面白かった。

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