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日頃思うこと、気がついたことを綴る場所です。
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これはあくまで傾向をまとめたもので、万人向けの理論ではない。

大東流の佐川氏の高弟の木村達雄氏は著書「合気修得への道」でこう書かれている。
※一部合気ニュースの記事を抜粋追加。

日曜日、朝8時頃だったと思います、ベットの中で、佐川先生に軽くおさえられてもびくともしないのはなぜかとか、力は何も感じない合気のことを考えてるうちに、なんか外からコツンってアイデアが来たんです。
しかもコツンと当たった感触まであるのです。それが結局、今思うと合気の種だったのですね。
今からみたらずーつとレベルが低くて幼稚ではあるけれども、合気の世界へようやく移れたんです。
それは内からひらめいたのではなく、完全に外から来たのです。


コツンと来るのは明らかに外からであるが、それは自分一人だけで起こしている現象ということからすると、内部情報になり、つまり、内部情報であっても外部から来るものと捉えているという人間の傾向がここでわかる。
それは内部だけを見ていても、外部だけを見ていても気が付くことはない。

金縛りの現象の様に、人間は外界に起きている現象が外界からの自分に入ってきているかのように五感を通して感じているが、実は全て自己内部で作り出している情報(ストーリー)を捉えて外界を構築している。

合気上げのようなことをやっても同じで、相手から押さえられても、本当の外界の現象で何が起きているかは人間は直接認知できない。
故に、五感(時に六感?)を通じて思考、感情、想像力を持って、今何が起きているかを自己内部で推測した情報を自ら捉えて対処している。

いわば、相手との間には1枚の鏡が置かれているのと同じなのだ。
結局、見ている外界は自分自身の感覚から来る想像図(鏡に映った自分自身)に過ぎない。

その感覚が外界を推測する手助けをして、自己の身を守るために機能するから、外界の推測が成されれば、危険であれば、安全のための対処に身体を機能させる。
つまり、外界はわからないものであるから、外界を認知し、自分との関係を認知すれば、外界にはそもそも危険が潜むものであるため、自己内部の想像図を脳が見ることで、身体には自己を守るための物理的ブレーキが常にある程度掛かってしまうことになる。
また一度経験したことには、付箋を貼るかのごとく、そこまでたどり着くための想像図を勝手に構築してしまう癖を持っている人が多い。

合気上げで相手から押さえられた腕が上げられないのは、外界の想像図を作ってしまうことで、自分が攻め込まれているという状況に対処する以前に身体が既に行動にブレーキを掛けているからであり、自分で自分を動けないようにし、腕を重くしてしまっている。
心理学ではミラーリングと呼ばれる現象が身体の物理に及ぼす影響がこれである。
自分の所属する会ではこれを「自重崩壊」と呼んでいる。
そして、恐ろしいことにほとんどの人はこういうリミッターのかかった力しか使えていないのが現状だ。それを当たり前にして、相手とのぶつかり合いをわざわざしていることになる。それで人間社会の力の常識が作られている。
合気がヤラセだという話はよく聞くが、わかってくれば、普通の力比べの方がわざわざ相手に合わせてぶつかり合っているヤラセに過ぎないという見方に変わる。

これは合気ではなく、透明な力でもないが、その両方を繋ぐ実効的な理であり、各々が実体験から培うものであり、体験なく万人に理解される・・・つまり理論ではない。

少年ジャンプに掲載されている「黒子のバスケ」で再度ゾーンに入るにはどうしたらいいと主人公の一人が悩むシーンが最近描かれたが、スポーツでいうゾーンのようないわゆるリミッター解除状態を引き起こすものが正にこれであり、2度目にはその状態に入りにくい理もこれで分かる。
ビギナーズラックの理もこれとほぼ一緒。

現在の教育はこの想像図をより濃くする方法を誘導するようなやり方に偏重していると思う。・・・というか、今の社会がそれを求めている構造になっている。
少なくとも自分の頃はそうだったから、これを外すのには苦労したし、今でも苦労している。
言い換えると、身体を使った命のやり取りを避ける方向に偏っている。
頭を使うことで物事が進む現代だから、身体は軽んじられるが、頭も体の一部である以上、頭という身体の一部分のみを偏重して使っていてはダメで、身体全体を適度にバランスをとって鍛えないとならない。

なお、この想像図をキャンセルする方法は自分で探してね。それがわかればゾーンに入るのは簡単。ただしスポーツで使うにはそれ専用に特化した身体がないと不可。
どうすればそういう身体が造れるのかも自分で考えてね。

以上、必要としている人にはとんでもない情報暴露だと思うけど・・・
世界の裏側へ入るための入口かもしれない。
そしてこれには、さらに続きというか、裏がある・・・。

またこの理の信憑性は各自自分の人生で検証してね。
ちなみに武道家の日野晃先生が同じことを言葉を(難しく)変えて掘り下げて研究していらっしゃる記事がありました。
http://www.hino-budo.com/shintai/keiko-1.html
この記事内の「センス」という言葉が身体を使う上でのゾーン化の割合を意味し、
「幻」という言葉が感覚でとらえている想像図を意味します。
日野先生は表現者としてという観点で書かれていて、確かにこれが身体を使う芸術に非常に関連があることがわかります・・・というか学ぶことが多いです。
これに関してはボードでも自分に身に覚えがあるのでいつか書くかも。。。
日野先生の言葉も意味のわからない人には全くわからないような、ある意味辛辣な表現をされています。
1つ重大なヒントを出すと、
日野先生の「意識が途切れている」というのは、この技術から見たら、「ゾーン化」の意識状態が途切れている・・・と解釈しないと何も意味が取れないでしょう。それでも理解は難しいかも。。。


そういえば・・・2~3週前のジャンプを読み返したとき、読みきりでなんか合気を題材にした漫画が載ってた。あんま面白くなかったけど。

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