RGの第5弾も発表?されたことだし、
やっと見終わったので、思いつくことを。
(スターゲイザーは見てませんが)
いろいろ思うところはあるけれども、
一言で言えば、素直に面白かったと思う。
細かい点を良い悪いに限らず挙げると・・・
SEED
・話としてよくまとまっていたと思う
・ストライクで肉弾戦を戦っていくあたりは、かなり面白かった。
なんというか、「あるものを最大限生かして乗り切る」という感じがハマった。
・よく主人公やガンダムが強すぎるという話も聞くが、最強のコーディネーターとしての精神的な脆弱さや葛藤はしっかりと表現されていたし、ストライクが相討ちでやられるところなんかは、よく考えてあったと思う。
・初代を仮に現代アニメ化するとこんな感じかもしれないなという感じを受けた。良くも悪くも。
・無駄にガンダムが出すぎる。せめて顔だけでも変えれば??
・フレイとラクスが気持ち悪い。
DESTINY
・インパルスは、分離して出撃する必要は全くない。パーツの組み換えが利くという利点だけ戦闘中に示せばそれでよい。しかも合体の最中を狙われるというZZ等で「お決まり」の事態がなぜ起きない??
・主人公のシンを通して、戦争の悲惨さや普通の少年の成長を描きたかった・・・なんていまさらそんなわけではないだろうに、せめて最後はレイでなく、シン自らデュランダルを撃たせてやればよかったのでは?あれだけ作品のなかで銃を撃つ練習をしていたのは伏線かと思ってたのに。
・逆に主人公が最後まで「間違っていた」というのを貫いたのは、まあ面白い。
・脚本というか構成が乱れすぎている。何かあったのか??特に40話あたりから。取ってつけたような設定や話が多く、そもそも最初から本当に作る気があったのか?
総評
大人が見ると、鑑賞に耐えないところもかなりあるが、現代のガンダムとしては面白いのではないかと思う。
個人的に一番評価できるのは、勧善懲悪でない部分をはっきりと描いているところ。
特に、ストライクとイージスが相討ちになってからの数話はこの作品の監督が一番表現したかったものが描かれているのではないだろうか。
大いに共感する。
おそらく普通の大人がみたら、戦争をもって義を通そうとする地球軍もプラントも正しいとは言えないと思うだろう。
キラとアスランはそのどっちつかずで、とりあえず最悪の事態を止めて、
平和にしたと見えるかもしれない。
戦争を止めた立役者というか、正義の味方に写るかもしれない。
または都合の良い理想の平和を力を持って振りかざしているように写るかもしれない。
答えを提示していないと思うかもしれない。何の解決にもなっていないと感じるかもしれない。
後は自分で考えろと言われていると感じるかもしれない。
作品として完結していないと思うかもしれない。
結局、商業ベースかと思うかもしれない。
(どうよ?ここらへんの感想が思いつくからまだ普通でマトモかな?)
しかし本質は「そのどれでもない」のではないかと思う。
人間はとかく、「正しさ」を求め、それが実感されるところに身を置き、安定したがる。
正しさが有る限り、それを変えようと、省みようとしない。そこで終わりにしたがる。
変化の波が来ても、正しさを証明しようと固執する。
しかし、敵対する相手も逆の方向の「正しさ」を持っていた場合には「ぶつかり」が生じる。
何をやっても行き過ぎると駄目になるという、人間が陥りがちな「実感の多い両極」を否定し、実感が少なく、戸惑いがちな真ん中を
「維持する」
「戦い続ける」
「何をしていても常に間違っているかもしれないと省みる」
「簡単に答えは出さず、生きている間ずっと考え続ける」
ことをはっきりと示している。
そして、その一見弱々しいと思える思想が実は一番強く、一番難しいが故に生き残る可能性が高いことを示している。
中立という立場にあるオーブのカガリはずっとこの狭間で答えを出せずに悩んでいた。
その結論をキラとアスランを通して表現している。そしてそれをシンに伝えている。
シンのように強烈なトラウマがある場合は、伝えることが非常に困難であるという例を示している。
この発想は勧善懲悪の正義の味方にはないものだ。人間同士のやり取りだから生まれるものだ。
この点は初代から続く「人類の革新」とか呼ばれるものと酷似していて、一貫している。
シャアが経験を元に「自分の正しさ」という極点に立って、地球に隕石を落とそうとするのを、アムロは人類の革新を「あせらず待つ」という極点でない中間に身を置いたのと同じだ。
まさにフリーダム(自由)とジャスティス(正義)か。
(そのほか、戦艦、モビルスーツの名称、登場人物の名前には少なからずメッセージがある気がする。)
これらは古来日本的な陰陽の発想に通じるものであって、現代の一面的な「正しさ」を追求させ、ミスを怖がらせるという日本の教育に欠けているもの。
「正しい」を定めたら、「間違い」が生まれてしまう。
それは本来自然の中では明確にするべきものでもなく、両方とも裏と表で共存すべきもので、「正しさ」だけを受け入れたり、押し付けたりするのは自然ではない。
人間はとかく「正しさ」に価値を置きたがるのだ。
つまり、この作品SEED、DESTINYという2作を通じて明確な答えを提示している。
それは「生きている限り安易に確定せず考え続けろ」ということだ。
おそらく、この作品の監督の伝えたかったことはラクスを通じて代弁させていると思われる。ラクスのセリフの意味を考えてみれば、それがわかるはず。
まあ、エヴァンゲリオンよりも現実的でまともだと思う。
さておき、結局SEEDってなんの能力だったのか??
優秀さが「ニュータイプ」(コーディネーター)ではなく、
「真理」を捉えるのが「ニュータイプ」(シード)という感じに近い気もするが。
あれが戦い以外の時に発動したらもっと面白い作品になっただろうに。ラクスとカガリが。
おそらくカガリがコーディネーターでなくても発動させたところにヒントがありそうな気がするが、それも戦いの最中だったし、
囚われているシンもやたらと発動させていたところを見ると・・・あまり考える意味はないかな。

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