ようやく触れた相手が吹っ飛ぶ原理の目途がついてきた。
と言っても、原理だけで実行するにはとても鍛え方が足りないし、
現状、子育て中で時間が取れないが、
鍛え方の指標ははっきりした。
既にわかっている人からすると笑われそうだが・・・。
これはほとんどの人が「物理常識」と「身体で実感できること」の、たまたま共通している点を、
同一の現象と思い込んでいるので、
物理を疑うことも、自分の感覚を疑うこともしていないから気が付かない。
気が付かないから、物理常識ではありえないとなってしまう。
確かに自分も物理常識として考えた場合ありえないのはわかる。
しかしそれは外から観察して一般的に説明した場合だ。
そしてそれは人体の物理とは全く異なる現象である。
一言で要点を表現すると、かなりトンデモな言葉になるが、
「意識をすると重さが現れる」
ということになる。
バカバカしいけど、これが原理の一番簡単な表現だと思う。
そして、この先があればまだ違った総合的な理解の段階があるのかもしれないが、
ここまでわかったからこそ、〇気が何かがあらためて分かってきた。
いろんな解釈があると思うが、自分は、
「〇気」とは、人体の「ある特定現象」を表す固有名詞であって、
「〇う」とか「気」とか、はたまた「気が〇うから」とか「〇わせる気だから」とかそういうことじゃなく、
「〇気」という固有名詞として、特定の現象を指して武田惣角は言っていたのではないかと思う。
だから「〇気を掛ける」という表現をしたのではないだろうか。
佐川幸義が「力ではない」と言っていた意味はそういうことだったか!と感じ得た。
しかし「力ではない」と言葉として言えるのは、〇気の身体に成れた人だけだ。
他の人から見たら、人が吹っ飛ぶ現象なんて力以外の何物にも映らない。
感応で自分から気を感じて飛んでいるのも、本当の〇気で飛ばされているのも、
人間の主観にとっては同一の現象だが、
掛けられるかどうかの点で言えば、雲泥の差がある。
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