話は少し脱線して・・・
接触しているからこそ、こちらの実際のタイムリーな身体の状態が相手の無意識に認識されて、相手が「〇気」に掛かることになるが、これを離れた位置でやろうとすると、同じ現象でもただの催眠術と一緒になる。
(まあ・・・催眠術=眠りを促す=右脳化とも言えるからそのまんまだが)
通常の催眠術は道具や言葉や雰囲気等を利用して主に相手の「精神」に掛けることになるだろうが、「〇気」はそういったものではなく、相手にもある「身体」という部位にそのまま掛けるものである。
(相手の脳に掛けるという意味では一緒のことであるが)
「〇気」の身体であれば離れた相手にも一種の催眠術が掛かるが、接触が無い分、完全な連動・連携にはならないため、それをやるためには相手の意識(無意識)を釘づけにするような環境や状況の準備が必要になる。
(相手の左脳(意識)の固定を工夫すると離れていても、相手の動きを止められる・・・足止めの術(金縛り)になる)
ただし、人間は完全な左脳化、完全な右脳化はどうもできない仕組みであるようで、左脳優位でも必ずその中に右脳機能がサポートしているし、右脳優位でもその中で左脳機能が働いている。
それはまるで太極図の黒と白の関係性と一緒である。

例えば眠って夢を見ていても、完全に右脳化してしまっていれば、夢の内容を認識することはできないはずで、(だから夢のほとんどは記憶に残らない)そこにわずかな左脳機能があるからこそ、夢の中でも自己認識を持っているといえるのではないだろうか。
なお前回、走馬灯に触れたついでに・・・時間感覚(間隔)が変容することについて。
最初に意識したところと次に意識したところの間に流れた時間差の感覚で時間が長い、短いを感じている。
だから誰しも人生で経験するように、自覚が生まれたばかりの幼いうちは新鮮な情報ばかりで意識することが多いため、自然と時間感覚は延びるが、歳をとってほとんどの出来事に慣れが生じると、意識されないところが多くなり、最初の意識と次の意識の間で実際は長く時間が流れていても無意識部分に時間感覚が発生しないため、時間が経っていないはずだと感じることが多くなる。このギャップがあるため、歳をとると時間が短く感じる(気が付いたら時間が経っていたという)ことが多くなる。(諸説あるが、この観点では簡単に説明ができる)
また3歳以前の記憶がないのは、その時間の大部分が無意識モードであり、意識されるほどの情報の濃さ(慣れ)が形成されていないことが原因である。(夢の記憶が薄弱なのも同じ理由だね)
(意識は情報の量(濃さと持続時間)で生まれる、自覚されるものである)
だから人は状況により時間を長くも短くも感じるのである。
待ち時間や、嫌なことはついつい意識を沢山してしまうからどうしても長くなる。
続く
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