自分が〇気を学んで得たこと
よく「他人を変えることはできない」という人がいる。
経験上、いろいろあったことはわかるが、アプローチが違ったということだろう。
自分は他人は変えられると断言できる。なぜか。
他人を変えるには、自分がまず相手を理解し認められるように変わらなければならない。
そして、自分が変われたとき、相手は自分を味方として感じてくれるようになる。
すると相手との良い関係性が出来上がり、今度は相手が自分を必要とするから、
自分の変化に相手が合わせてくれるようになる。
そして結果として相手は変わる。
そこに無理なぶつかり合いは何もない。
つまり、他人を変えられないのは、自分が変われないからで、
狭量な器で狭い視野でしか相手や世界を捉えられていないということになる。
簡単に言い換えると
「これ以上は譲れない」とか「これ以上は自分が変わる必要はない」と思ってしまうことだ。
このような相手を変える方法論を言葉にすると一義的には、
人を騙して変えてしまうような仕組みに聞こえるが、
見えない形で人間関係というのはこういう仕組みになっていて、
人間の成長というのは、自分を変えられないと起こらないものである。
そして騙す思いを持っていたら、そもそも自分を変えるには至らない。
これは身体を通じて行う〇気も全く一緒。
押さえてくる相手を変えようとぶつかったって相手は変わらない。
しかし、相手の力に意識的な抵抗、反射的な抵抗をしないようにして、
相手の力を身体を通してしまうと、相手の無意識はこちらを敵とみなさなくなってしまう。
行き場を失った相手の力は相手にそのまま返り、相手は浮いてしまう。
すると、こちらの動きに相手の無意識がしたがってしまうようになる。
そこに無理なぶつかり合いは何もない。
そして相手を自分の意のままにしてしまおうという思いを持っていたら、
そもそも自分の身体をそこまでコントロールできない。
社会生活をしていて、何がしかの物事に抵抗感を感じた場合、それは全て成長のチャンスとなる。
そこで自分が絶対的に正しいとして抵抗して、言い訳してしまうだけにとどまるか、
それともこういった構造に気が付けるか。
こういうことはわかっている人ほど、他人には話さない。
そして自分も、この先これ以上のことがわかったとしても、もう書くこともないだろう。
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