生まれたばかりの子供には外界を捉える視点も、自体を認識する情報もない。
例えれば無に近い。自体内部に発生する情報で泣くだけ。
そして、子供は外界の全ての情報を脳内で再生して、その共通点から外界の構造法則を捉えていく。簡単に言えば「真似をしていく」ことになる。
子供が膨大な外界の範例を再生していくということは、親の普段の生活の形式や生き方、引いては意識が一旦全て移るということで、それを通して子供は外界を捉える視点(フィルター)を持っていくことになる。
嫁さんの親が子供に会いに来るたびに子供に感情が芽生えていくような気がする。
これも子供に会う人の意識の状態がそういう状態だからだろう。
一緒に住んでいるからこその様々な思惑を一切持たず、純粋に子供に「会いたい」「楽しい」「かわいい」そういう動機でわざわざ来てくれる人のそういった感情が子供に移るのだろう。
子供はそうやって、会う人から様々なものを「授かって」いく。
だからこそ、育てる環境、条件が重要なのだろう。
とりあえず、邪ではない、陰と陽を両方授けていけるよう努力が必要だ。
少なくとも、授けられる情報の種類という意味では、自分の親と同居で良かったと思う。
子供から教えてもらったことは、自分も外界の何を捉えても、その都度脳内で「再生」して、真似しているのだということ。
しかし、それにフィルターがかかっている。フィルターにどれだけ気がついて外せるか・・・。
そして出会う人から「何を獲れるか」。
一期一会とはよく言ったものだと、あらためて思う。
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