一概には言えないことだが、膨大な情報の中で、共通する重要な凡例の一端を垣間見ているような気がするので、書き記す。
ボードでの7への挑戦と、合気の習得には、次元の違いはあれど、共通するものがあるのではないかと思う。
というのは、合気が「これまでにない、発想の転換が必要」と言われているように、ボードにおいても自分にとって、それがあったからである。
自分にとって原理的に絶対不可能だと思えたことが、他人に出来ている時、自分を出来なくしていたのは、自分で「できない」と思い込んでいたことだと気がつく。
それが、「できるかも」と本当の可能性を感じた時、今まで見えていたものは全く変わってしまう。
いつも聞きなれた言葉の本当の意味に気がつくようになる。
そう、言葉の意味は、自分の進捗によって変わる。
それが変わった時は、ある意味、固定観念から開放された、発想の転換があった時と言えるだろう。
ただし、そこに辿り着くまでは、転換となる事象の前提がどのレベルかがわからないといけない。
膨大な選択肢から、確信を見つけ、それを徹底的に鍛えていくしかない。
だから、選択に失敗し、回り道をして、絶対的に時間がかかるものだ。
そして、運の助けを得てやっと前提に辿り着ける。
(天才は、この選択肢が必要のない人、言い換えれば、転換が必要のない人を言うのではないかと思う。)
例えば、ボードの映像を見て、ボードの経験のないやつが「俺も7回したい」と思ったとする。
しかし、彼には、前提となるものが、ないし、想像もつかない。
もしかしたら、板さえ手に入れれば回せると思っているのかもしれない。
板を手にして、1回せればできるのか、3回せばできるのか・・・
しかし、実際は5回せることが前提となる。ここがスタートで、ここから発想の転換が必要となる。
ここまで来て、自分の原理の限界を知らないと、発想の転換は訪れない。
先に進むには自分の原理自体が可能を不可能にしていたことに気がつかないといけない。
さらにやっかいなのは、この手の話は人に非常に伝えにくい性質のことであるということ。
だから、誰も7を回せる方法を万人に説明できないし、しようとしない。
しようとしても目に見えることでしか結局説明できないのだ。
相手が理解できないから。
だからおそらく、合気を成立させる方法を完全に説明は出来ないし、しようとしない。
掴みたい人には、非常にじれったい話であるが、こういうことなのだ。おそらく合気も。
一生をかけて研究するに足る興味対象を見つけられたことがとてもウレシイ。
ただしここから導き出されることもある。
それは、5から運に助けられ偶然成功して、結果発想の転換に結びついたように、合気も成功体に助けられないと、おそらく発想の転換はできないのだろう。
不可能を可能にするのは、それぞれの次元で、道は険しいようだ。。。
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