プロのスポーツ選手の動きを真似しようとしたことがある人ならわかると思うが、私もボードで上手い人の真似をしようといろいろ研究しやってみたが、結局上手くいった時は、「自分には無理だ」とあきらめて何も考えていない時だった。
その時、身体とは一体どう出来ているのか、全く不可思議に思えた。
一番長く付き合ってきて、知っているはずの自分の身体のことを何も理解できていないことを知った。
気持ちというか意識というか、そういったものと身体との間に何か不変の法則みたいなものが確かに存在する手ごたえはあったが、それが何なのか、どうすれば使えるのかが、さっぱりわからなかった。
それまでは動画をスロー再生やコマ送りして動きの手順をトレースして覚えたりもしたが、結局そういった分析自体は、その意識をそのまま持って現場に行っても、やる段になると何も意味がなくなる。(もちろん、トレーニングやイメージ作りには有効だとは思うけれども。)
意識したり、考えながらやると、動作は繋がりを無くして、別物になってしまう。
そこまででなくても、一連の動作のどこかで意識の仕切りを入れるだけで、どこかぎこちない感じになってしまう。
まるであらかじめ動きをプログラムしたものをただ再生するように、1つの意識の中で動作が完了してはじめてスムーズで実効的な動きになる。
1つの意識を継続するためには、体が発する刺激を意識してはならないし、自ら意識するようなこともしてはいけない。外からの刺激も意識してはならない。
意識すべきは、目的や、目的までの一連のイメージ、または漠然と成功しているイメージだ。
そして1つの意識で臨めたとき、身体の発するエネルギーは桁違いに跳ね上がる。
引き換えに身体が力を出しているというフィードバックは得られなくなる。
まるで身体全体のエネルギーが1つの目的に向かう感覚。
身体がバラバラに動くからこそ、体内の力のぶつかりを自分が外に出している力と感じる。しかしそれは同時に大きなロスを含むということ。
1つの意識とか、成功のイメージと言うと、哲学とか、宗教とか、「引き寄せの法則」に似ているように思われてしまうかもしれない。
哲学は確かにあるかもしれないが、あくまで実体験でやっている体感を言葉にしている。
家は仏教だが、私は特に信心深くない。
ちなみに私は「引き寄せの法則」は好きではない。
あの原理(実際は原理までは書いていないが)は人間構造上、確かに当たっている部分があると思うが、どうも・・・個人の欲を刺激させる内容に終始している。
お金持ちになりたい、成功したい、素敵な恋人が欲しい等を個人的に願ったとすると・・・お金に例えると、資本主義では誰かが儲かれば、誰かが必ず貧乏になるという物性の対面に目を伏せる生き方になる。
こういう考え方では、ネズミ講と一緒で、限られた富を奪い合うだけになってしまう。
社会全体を俯瞰しての倫理や、人間の価値観は相対評価であることや、陰陽思想等が考慮されていない感じを受ける。
私はこれには価値を感じない。
ZZZ・・・。
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