最近、ガンプラも作ってなくて、他に書くネタがないので、
くだらないことを書き連ねる・・・
「意識の継続」というと、一般的には、意識がある状態(覚醒状態)が続けば継続していると思われているが、実際には意識は目まぐるしい程の切り替わりを繰り返している。
ちょうど蛍光灯が秒間に50回とか60回の点灯を繰り返すことで、人間の目には継続して点灯しているように見えるように。
これは人によっては、「認識の切り替わり」と表現した方がわかりやすいかもしれないが、正確には・・・やはり認識ではなく、意識であると個人的には思う。
なぜなら認識という言葉は、認識していることが認識なので、認識できていないものは「無い」ことになってしまうからだ。(意識には無意識という存在するが認識できない概念が存在する)
この切り替わりは無自覚にしてしまう生理的なものに近い。
例えば瞼を閉じたり、目線を移動したり、何か音が耳に入ったり等、些細な肉体の行動変化で意識は切り替わってしまう。
視覚や聴覚の影響は大きく、現実社会をまともに捉えたら、一時も同じ意識でないくらいにすぐに切り替わってしまう。
これは目に見えたり感じられる動作だけでなく、脳の使い方でも一緒で、思考や感情でも、1つのことを抱き続ける実感があっても、実際は頭の中でグルグルと何度も思い直したり、思い返したりして、その都度意識が変わっている。
思考している感覚や感情を抱いている感覚(思考覚、感情覚と私は呼んでいる)がある以上、それも身体が起こす刺激となり、意識の切り替えを促すことになる。
別の表現をすれば気がつかずに、何かに「気を取られている」が近いか。
つまり、体内の生理的情報でも、体外から来る情報でも意識は切り替わりを余儀なくされる。
その都度意識は切り替わって新しい意識に変わっているが、自覚認識しているトータルの目的が変わっていなければ、殊更意識が細かく変化しているとはほとんどの人は感じない。
意識と力は連動しており、この意識の切り替わりが自分の発する質量Eの状態にダイレクトに影響するのだから、何かを感じ取っている以上、それは体内でのエネルギーのぶつかりが生じていることを意味するので、無自覚にどれだけの力みが生まれているのか、考えると恐ろしくなる。
とはいえ、通常はその力みこそが生きている実感で、喜びであり、健康だという証拠にとられるのだろうが・・・。
ZZZ・・・。
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