忍者ブログ
日頃思うこと、気がついたことを綴る場所です。
| Admin | Write | Res |
カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新コメント
じゃんじゃんコメントしてね。
ブログ内検索
カウンター
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

意識シリーズもとりあえずこれが最後の寝言かな・・・。


通常の力は筋肉の収縮の結果で発揮されるから、必ず出力に終わりが来る。
その時に、意識が必ず切り替わって新しい意識に変わってしまう。
力を出し直したらその時点で、前の意識は途切れてしまっている。
力と意識はそういう連動をしている。
では、意識の途切れない力とはどのような力なのだろうか?
 
 

集中を「他のことを考えない」と表現しては、片手落ちになる。
「1つのことを考えたり、やり続ける」というのも説明しきれていない。
1つの動作内で「同じこと」を考え直しても駄目になる。
1つのことを1つの意識の中でやり続けることが集中の真の意味であり、その時にはじめて集中の効果、真価が発揮される。
意識の切り替えがなく、一意、一意識の「時間を長く続ける努力」をすることが本当の集中力を高めるということであり、余計な情報を仕入れないとか、余分な物を排除するというのは、その前段に過ぎない。
感情や思考で集中している実感を作って「今、俺すごく集中できてる!!」なんてのは、以ての外。
集中という言葉1つとっても、人それぞれの理解の度合いの違いがある。
そしてそれはその人の人生に現れてくる。 

人間は頭を使うことであれば、案外意識を切り替えないで取り組むことができる。
例えば、身体からの刺激をリラックスすることで極力減らして、没頭してテレビでも視ていれば簡単にできる。
あっという間に時間が過ぎれば、それができたことが結果として分かる。

1つの意識が続いている感覚も、あっという間に過ぎる時間感覚もどちらも個人の内部感覚であって、他人と共感はできない。
ただ1つ・・・共感できる可能性があるとしたら、〇気を掛けてもらって、その最中に自分の意識状態を確認することだ。
この言葉にならない感覚の意味と理解がどれだけのレベルでできるかが重要になる。

これは身体を使うとなると、途端にできなくなる傾向が強い。
現物のない頭の中の情報処理と、現物から物理的に来る情報処理では難易度が全く違う。
現物の身体にかかる内側からの情報も外側からの情報も全て生命の危険回避に関与するからだ。
しかも人間相手であれば、現物にかかる外からの力というのは、変化もするから、身体への刺激もその都度変わる。
どんな状況であろうとも意識を切り替えない身体の動きというものをものすごく鍛えなければならない。
「肝が据わる」とか、「身体と心の一致、統一」というのは、ここらへんのことを言った言葉だろう。
こういう観点(レベル)で理解ができていなければ、この手の上達はなかなかできない。

こういったことを子供の頃から勘で自分なりに区別して、やってしまう人がいる。
今頃気が付いた私にとっては、信じがたいセンスを持った人達だと思うし、それを時間をかけて大人になるまでに発展させられるのだから、うらやましい。足元にも及ばないし、ずっと発展されたら一生追いつくことはできない。
しかし、知ってしまった以上、自分なりの発展は諦められない。
意識は一生鍛え続けることができる。

ZZZ。もっと寝たい。

拍手[0回]

PR
この記事にコメントする
Name
Title
Font-Color
Mail
URL
Comment
Pass
phot by Art-Flash * icon by ひまわりの小部屋
designed by Himawari-you忍者ブログ [PR]