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勘違いを恐れずに書いてみる。
感覚と力の関係の一例

通常、皆、目で外界を見ていると思っている。
実際は目は光の情報を取り入れて、脳内で映像を作るための情報収集器官に過ぎず、その脳内の映像を視覚が捉えて、外界の状況を推測している。
・・・と、ここまでは巷にいくらでも解説があるが、重要なのは、目で外を見ているという感覚や癖が抜けないが故に、どうしても眼球周辺の筋肉に1G以上の力を入れてしまうことが多いということだ。

いわゆる「目力」とはよく言ったものだが、目力を発揮していると、力が外に出ているために他人から簡単に何かしようとしている目的の方向や意図を読まれてしまう。
 
また視覚から状況判断することが多く、自然と思考・感情は視覚とセットで情報処理されることが多いため、思考したり、感情を発露する時に目の周辺から額にかけての付近からどうしても外に1G以上の力を発揮してしまいやすく、重心が前に出るため、前傾姿勢になりやすい。

・・・そりゃデスクワークばかりやっていれば、猫背になって腰を悪くするわけだ。。。
(そもそも論で言えば、二足歩行で首を前に曲げた時点で力(重心)は前に出てしまっているが)視覚によって得た情報で、意識に届く前に無意識はほとんど重心制御をやってしまっている。だから目を閉じると、重心制御を圧や触感や体内の重心覚でやらなくてはならなくなるので、ふらついてしまうことになる。
繰り返しになるが、実際は脳内にある映像を見ているだけで、目は映像を作るだけの材料となる情報を取り入れる器官に過ぎないので、本来は目は「情報を得られるだけの状態」であれば良い。
「この目で見よう」とか、思考・感情等と切り離された「単に情報を得るだけの目の状態」を観の眼と言うのだろう。

また脳内に移る映像は、その情報を利用しようと思考、感情等の流れを起こさずに、ただ捉えているとき、ただ外界の情報を映すだけの鏡のような存在になる。
思考・感情という常に脳内に流れる水のごとくを鎮めれば鎮めるほど、その鏡はより明るく鮮明にありのままの外界を映すようになる。これが明鏡止水か。
コツとしては・・・目の付近の筋は常に外を見ようと力を出しているので、見えている映像はあくまで脳内の映像だと解釈して、脳を見るような感覚に変えると観の目に近くなるかな?
こんな色メガネを掛けて物事を見てちゃダメだね。

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