とあるブログのコメントにこう書かれていた。
「日本人は本当に平和ボケしています。騙されても騙されても他人毎だと思っているのですね。」
海外に住む日本人から寄せられた、そのコメントに正直、ふがいなさ、情けなさを覚えた。
そのとおり、ほとんどの日本人は自分のメガネで見えたものが真実だと思い込んでいる。
「俺的客観性」という、狭量な主観を持って物事を判断している。
(たとえば、「俺」が本やネットやこれまでの人生経験等で情報を集めて、情報の整合性からしても正しいと判断できるから、これは「客観性」がある情報で、これが俺の主張であり、世界の真実である・・・といった感じ思い込みのことだ。)
それはとりも直さず、お眼鏡に適う情報が来れば、真実だと思ってしまうことを意味している。
情報は与えられるもの、集めればよいもので、それを目的に従って加工、変換処理すれば良くて・・・結果、自ら判断するのはせいぜい正しいか間違っているかレベルでしかない。
そんな風潮がスマート、正義としてまかり通っている気がする。
とても法治国家らしく思えるが、ある意味人間性としては末期的ではないだろうか。
想像力を掻き立てられるきっかけの情報無くして、自らの自発的な想像力を無くしているのではないだろうか。
相対性の中で自分を問い続けるという視点はなく、近くの岸にすぐ上がって安心してしまっている。
そして、自らもかつてそんなメガネを持っていたことを思うにつけ、
日本の教育のある面は間違っていたのではないかと思うようになった。
いや、そうされていたのか・・・。
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