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日頃思うこと、気がついたことを綴る場所です。
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そう・・・例えるなら、宗教の根源、発生源。

神道は言わずもがな、おそらく悟りを得るという仏教、そしてキリスト教もおそらく、創始者はある程度知っていたと思われる。
彼らは、不思議な力が使えたという伝説は後を絶たない。

伝説のどこまでが真実かは別にして、不思議な力という点で合気は一致する。

精神面でのことも当然一致する。
精神面が重視されるというか、自分コントロールができないとスタートにも立てないから精神性と強く関連し、それが結果、人の道を説くことに繋がる。


科学と宗教は両端で相容れることは無いが、同じ真実を求めている。

昔の達人は経験則で伝書を残しているが、そのほとんどは宗教や道を説くものと捉えられることが多いが、それは宗教という概念が生まれて久しい現代からの見方であって、彼らは現象とそこに至るまでの筋道の真実を、懸命に例え、伝えんとしていた。

追求すると宗教、哲学でしか表現できない世界に踏み入る。

しかし、それは・・・
その程度でしか現代の人間はまだ語彙を持たないためであり、真実を実感として共有するだけの表現がない出来事であるから。

合気自体は決して宗教ではない。哲学だけのものでもない。
物理現象として発生することだが、一般科学がそれを認知していないだけの話。
未来には必ず明らかにされる人間の真実。

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そう・・・例えるなら、本来色の無い世界に色を見つけようとすること。

目は電磁波の情報を取り入れ、脳は色彩を作る。
しかし、目の前の物体に反射した電磁波を取り込めないとしたら、
色の概念は無い。

電磁波で反射したものを捉えるのでなく、目の前の物体の本当の色を探ろうとすることに近い。
それは視覚を超越した世界である。

視覚を超越してしまえば、他の動物や昆虫に紫外線が見えるのと同じく、感知できない存在に気がつくことができる。
視覚という常識に縛られるから、外の存在に気がつかない。
それは何も「霊」が見えるとか、
「気」が見えるとか、そういう怪しい話ではなく。

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読むたびに意味が変わって読める本があったら、飽きないしお得感があると思う。
その1つにファイブスターストーリーズという、昔エルガイムというアニメをやっていたと思うが、そのデザイナーが書いているマンガがある。
これが最初に読むと本当に意味不明で、登場人物が誰なのかすらわからない。
話自体はロボットマンガでありながら、人情が絡んでいたりして普通にストーリーが面白く読める。
イメージはガンダム系と一緒。要はロボットは付属で、中身は大人のマンガなのだ。
しかし、一通り読み終わって、また最初から読み始めると、だんだんと発見がある。
突然出てくる登場人物の正体が誰なのか、後々の巻にヒントがあったりするのだ。
新巻が出るたびに最初から読みたくなるし、最初の頃の謎も解けてくるという、ハマれば、その筋が好きな人にはたまらないマンガなのだ。

さて、合気関係の本に
「透明な力」
「合気習得への道」
という2冊の本がある。これは同じ著者。
正確にはそれ以外にいくつかの本が出ていると思うが、
この2つの本を合気が少しわかってきてから読むと、その本にある言葉の意味が変わって読める。
読むたびにそこに書いてある本当の意味がわかってくる感じだ。
しかも面白いのが、最初に興味惹かれた「合気の謎はここらへんの表現にあるのでは?」と思っていたところには、実は現象しか書かれていないが、それ以外の最初に読んでも意を留めないところに本当のヒントがあることだ。

お得感のある本としては、ある意味オススメだ。

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これまで合気の訓練を独学でしていた頃にも母親に相手になってもらい「挙げ手」を試したことは何度かあったが、ここのところ、技術が格段に進歩しているし、先生から「他の人にやってもいい」とお墨付きをもらったので今日、久しぶりに母親に試してみた。

相手の力感を全く寄せ付けず、挙げてしまうことがやはりできた。
素人相手ははじめてだったので正直不安はあったけれど、思った以上に進歩していることに気がついた。

1回目は「親指に力が入りにくい感じがする」とのことだったので、
持ち方を変えての2回目。
やはり簡単に上がってしまう。
「力が入らなくてどうしようもない」
との感想。

この技術は考えている間は非常に観念的で精神的なものなので、物理的影響はないだろうと思えてしまうが、現実に物理的にそれが働くのを見ると、まるで「魔法」としか思えない。
理屈があり、それが理解できている以上、術者には決して魔法ではないが、体験者はやはりそう思うようだ。
自分もそうであったように。

人間はホントにすごい。
これに気がついた人は天才だと思う。
昔の人はスゴイ。。。

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前回書いた、合気道教室で先輩が「手解き」について
自分が初回、理解できていなそうだったところを気遣ってくれたのか、
終わった後でこっそり教えてくれた。
それは「遠くを指差すようにして体を回す」ということであったが、
先輩がどういう意味で、また先輩のレベルとか力量(どこまで気がついているか)はわからないけれども、多少合気の要素があったのかもしれないと感じた。(可能性だけ。)
もちろん、繊細な訓練を積むことで初めて、大きな動きで可能になるというものだと思うので、あの教室で合気を会得するのは難しいだろうし、教えてもくれないと思う。
でも、合気だけでなく、合気道もそれなりに面白い。
なんといっても終わった後の疲れ方が気持ち良い。

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