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日頃思うこと、気がついたことを綴る場所です。
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関東の本部へ稽古に行ってきた。

こちらで独立して同好会等を組織するための研修も兼ねて。

本部の先生の受けをさせてもらった感想は・・・

あれは伝統芸能と一緒だと思った。

歌舞伎や能のような鑑賞されるために伝承されるものでなく、

かつて日本で実戦に使っていた頃の身体技術。

先生がしゃがんだ状態から両手の平を上に向ける。

そこを上から押さえる。

先生がそこから立ち上がるというものであるが、

受けてみると・・・いつの間にか立ち上がられている。

2度3度やらせてもらって、わかったことは、

どちらが動いているのかすらよくわからない状態になる。

瞬間瞬間の結果しか捉えられない。

少なくとも言えるのは、そこまで相手の動作が感知できないということだ。

あの身体の純度がすごい。

さて・・・どうしようか。。。

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当然、最初から腕をあげることと、普段の生活で各々自分が悩んでいることが繋がってくるなんてわからない。

だから興味を持たない。

腕をあげることと精神面が繋がってくるなんてことは、全く理解できない。
だから、それが誰もが本能的に求める精神性に関連していることも理解できない。

なぜこんなにストレスがたまるのか、なぜすぐに体調が悪くなるのか、なぜすぐに疲れるのか・・・
社会に対する不適合、他人が理解できない・・・ナドナドいくらでもあると思いますが・・・。

言葉の意味にしても、個人が一応結論を出している(決めている)、理解の先があるということもわからない。

人間、25歳くらいで、人間性は大体決まってくる。
で、その先の精神の成長要素があるとは思わず、「経験」「知識」「気持ち」「情」「欲」を大事にして生きていく。

自分もそうだった。

そして、自分が何で、こんなに悩みがあるのかも考えたこともなかった。

押さえられた腕が上がるなんて、考えたこともなかった。
だからわからなくて当然だし、腕をあげることに興味を持つ人も少ないはずです。
しかし、ここでピンとくるか、どうかに意外な運命の境目があるような気がします。

結局、行き着くところは、「公共性」になってくると思う。
自分も他人も、自分と社会も、全て一体なんです。ついでに自然も。
全て地球の生産物。
しかし、大抵の人はその手前で自我でそれを止めてしまっている。
(ここからここまでが自分だー!!俺のもんだってね)

それに気がつかないし、考えるのも自分否定になるから嫌・・・というか嫌と自覚する前に「必要ない」「興味がない」と拒否する。
(この精神の成長とか考え方こそ、公務員に必要なのではなかろうか?是非、公務員に研修して欲しいと思う)

たとえば、地球の上で、大陸に名前をつけて区別する。日本と名づけた陸地を県で区別する。
そうやって、自己認識の上に載せて、自己領土とするため、人間は様々な物に名づけて、区別(差別)をしてきたんです。
ここからここまでが自分の領土だよ・・・とかね。
それは権利を示すため、情報の効率化の上では社会的には必要なものです。情報と人民を統べるためには。

でも、元々は、1つの地球であって、海も山もない、人間の都合による区別なんてない、全て一体の名前のないモノでしかないはずです。
どれだけ人間が増えようが減ろうが地球の質量が変わらないように、それは人間も然りで、そこに共通するのが根本の物理現象ではないでしょうか。

合気を学ぶとそういうことがあたかも実感するかのように理解されてくる。
物事の本質だけを見抜き観察する視点が自然と身に付く。

合気はそれ単体では何の価値もない技術であり、何の価値もない思想であるけれども、
(だから、それ自体には誰も興味を抱かない。お金にもならない。)
何かのために生かそうとすると、最大限まで達するために、それを手助けできる可能性のある技術なんです。

だから私にとっては、必要と考えたし。
本当は誰しも気がついていない無意識に近い部分で望んでいることのはずなんです。
言い換えれば、やりたいことに対する「究極のサポート技術」なんです。

世の中の大体の事において、人並み外れて、何かができる人に憧れることはよくあることです。
でも、自分もそう成りたいと思って、いくらやってみても、そこに到達する道がプッツリと切れていて、手がかりすら見つからない。
そんな経験、誰でも一度や二度はあると思います。
そして、大抵の人はそこであきらめてきたのではないでしょうか?
あるときは自分にはできないとあきらめたり、興味ないとして自分を偽ったり、またあるときは必要ないと思い込んだり。

自己啓発、能力向上等、世の中に公告を出している大抵のものは嘘が多いです。
ほとんどがお金儲けのための客集めでしょう。

何かやるための方法に、人から教えてもらうことに、いくらお金をかけたって、本当は、自分に対して自分自身で正しい努力をしなければ、内にも外にも何も手に入りません。
それは本当は誰でもわかっていることなんです。
ただ、楽をしたいだけなんです。自分を深く見つめることが嫌なんです。自分で自分を否定したくないのです。喪失感を避けたいのです。
だから今の自分に何かをプラスしたり、自分を、世の中を簡単に変えられるという、公告で、神様を信じたり、お金を積んだり、高価な坪を買ったりすることで、できるようになると思い、思わされているんです。

けれども、そんな嘘ばっかに見える・・・もしその中に本当のものがあると仮定したら・・・
そして、それを見極める賢い目がある人なら、気がつくはずです。
せめて近しい人達とは、この技術の情報を分かち合って、それをきっかけでも踏み台にでもしてもらって構いませんので、お互いに良い人生にしていきたいものだと思っています。
だから、ちょっと興味がある人も、全く興味がない人も
やってみてから、自分に要るか要らないかを判断しても遅くないと思います。

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こんなFAQを設けたら・・・という案。

(どのくらいでどんなことができるようになれるのか?)
私は参加して2日目で、押さえた相手の手をなんとか上げることができました。
もちろん、原理がわかってきたのはもっとずっと後のことですし、一般の人相手にコンスタントにこれができるようになったのはやはり半年くらい経ってからでしょうか。
合気にも段階がありますので、半年でできるようになるのは本当に初歩の正しい力の使い方程度です。
その後もこの技術の特殊な力を常に意識して生活しています。
そこまでやっていかないと、進歩することが難しい技術です。


(宗教的ではないのか?どうせ宗教がらみだろう?)
合気道なんかはほとんど神道系で、一応仰々しい作法も習うようですね。(自分はコレが苦手)
とはいえ、合気道でも神道に入信しないとできないわけではないと思います。

この会では合気ができるかだけが問われるので、何を信じようがどう勉強しようが自由です。
できた者勝ちで、皆様々な考えを持ち寄って、ぶつけ合って、各々の解釈をして、挑戦している感じですね。
私の先生の習得の方向性も自分に影響していますが、自分的には科学、力学、物理、哲学が近い気がします。

宗教って、どこまでいっても、具体的なものが掴めない、確立できない気がするんです。
不思議も神様や霊や魂のせいにして良しとしてしまうというか・・・。
(できた者勝ちなら、それもアリなんですが、人に伝えられない)

それでは、この技術では再現性が難しいんですね。
特にスポーツに応用しようとした自分としては。

世の中のあり方なんて、特定の誰かの教えに従わなくても、子供の頃からみんな経験から追求してきたはずです。
自分は何者で何をすべきか、世界はどうなっているのか・・・等など。
みんな独自でいいのではないでしょうか?
そして、それぞれが持つ経験からする価値観は真実なはずです。
(それって、一人で独自に宗教やってるのと何も変わらないと個人的には思えます。)

合気をマスターするのに、どこか特定の宗教が必要ということもないでしょう。
ただし、大抵の人にとっては、「これまでにない新しい出来事」になると思われますので、それ相応の価値観の変化は各自勝手に起こるでしょう。
それが起こらないと、技術として進歩が起こりません。
おそらく、昔の人が使えていたとするならば、昔と現代の日本人の物事の価値観の違いにもヒントがあるのかもしれません。


(どうせヤラセなんじゃないのか?)
見て本当かどうかわからないから、ヤラセが通用して、お金儲けできてしまうということだと思います。
はっきり言って、ヤラセには価値はないし、本物の合気自体も人によっては何の意味もないものでしょう。

もし本当だったとしたら・・・自分にとって価値がある(価値観が変わる)から貴方も気になっているのではないでしょうか?

ヤラセでお金儲けが成立するという発想は、価値のある本物が存在するからではないでしょうか?

とくにこの技術は第三者として、外から見てる人には、(特に素人には)絶対にわかりません。
プロの運動選手の動作を見て真似ても同じ結果が出せないことは皆さん経験があると思います。
見てわからない理由、理論があるのです。それがわかるようになった人は、ある程度、正しい結果として起こりうる現象がわかるので、見た目で判定はできるかもしれませんが、第三者の目線ではそれも絶対ではありません。

「掛ける側と掛かる側の関係でしか成立しない物理現象」ができあげるためです。
まあ、通常はそれを「その場でしか成立しないヤラセ」と言うのでしょうが。。。
言葉では同じくくりになりますが、「意図せずともそうなってしまう」別分野があるとしか表現できません。

もし例えるなら、地球と太陽の関係を考えれば良いのではないでしょうか。
ずっと太陽の周りを回る地球、を第三者が見て、何も自分に実感して確かめる方法がないために
「糸で繋がっているわけでもなく、離れているのに同じ動作を繰り返す力が働いているなんて無い。お前らヤラセだろ?」
と疑うのと同じレベルだと思います。太陽と地球の当事者同士でしかわからない物理法則があるのです。

真実は試していただくしかないでしょうね。それをせずに判断するのも勝手ですが・・・。
そもそも見て分かる程度の技術であればすでに皆使えて当たり前になっているでしょうね。


(もし本当にそんな技術があったら、柔道や相撲やレスリングでは無敵になれるはずだ)
おっしゃるとおりでしょう。もしこの技術を完全に「駆使」できるならば。
これをちょっとやればわかると思いますが、当たり前に「駆使」できるようになるためには相当な研究と時間が必要です。

ある一定のやり方がわかっても、なぜそうなるかが、わからない・・・
一応理論を研究して、わかったつもりでやってみると・・・
あれ?できなくなってる!?・・・
なぜだ?まだ理解していないことがある?・・・
けれどわからないままやってもみると、できたりする・・・
ということは、別の理論があって、より良いやり方がありそうだ・・・

この繰り返しでしか成長できない技術です。
しかもちょっとしたことで簡単に出来なくなるし、常に人間相手に試さないとわからないし、だから大抵、達人になる頃には、お年寄りというわけです。

それだけ考え続けて、稽古し続けても、絶対的に時間がかかる技術です。
つまり、現代ではそれら一般のスポーツに適応する最盛期を過ぎてしまうのでしょう。
しかも、相手を倒すことには長けても、スポーツのルールに合わせられるとは限りません。
はっきり言って、「これは使える!」と気づいた時には、既に遅い技術ともいえます。

子供に英才教育したらどうなるでしょうね?それはわかりません。


(そんなものがあるはずがない!!)
・・・と思うのなら、試して検証してから言ってみていただきたいです。
これをやるまでは自分も合気道等をそう捉えて全く気にもしていませんでした。

自分の思い込み、好みや見える世界だけで生きていくのはある意味幸せです。
自分否定をしなくていいからです。嫌いなものを取り入れる必要がないからです。
だから自分の価値観を守りたい人、なんでも自分の価値観、自分の信じる物理法則から判断したい人はこの技術はやらない方がいいです。
楽しくないでしょうし、おそらくやっても理解できないでしょう。

それだけ日常の「力の意識」を変えるのは難しいことです。
サンタクロースを信じている、純粋な子供のように、「不思議な技術が存在すること」を前提に自分の価値観・既成概念が壊れても、自分否定を続けてもそれを粘り強く手に入れたいと強く願う人でないと難しいです。
そうでなければ、この技術は糸口すら発見できないでしょう。

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募集するとしたら・・・以下の感じで掲載を考えています。
-------------------------------------------------------

身体力学研究会 ●●同好会

身体力学研究会で研究している「合気」について、本部より技術の支援等をいただく中で、上下関係のない同好会で研究し、技術を身につけることを目的に企画しました。

<概要>
「合気」という言葉は、あまり聞きなれないかもしれませんが、合気道は皆さん聞いたことがあるのではないかと思います。
「合気」がわかると、相手の発揮する力を無くしてしまうことができるため、自由に技をかけることができるようになります。
合気道もこれを理想に稽古をされていると思います。
これは身体の技術に聞こえるかもしれませんが、人間を相手にした精神面でも同じような現象が起こるようです。
こういった不思議な側面を持つ「合気」について、身体に潜む力学と捉えて、わかりやすい形で解明・理解し実生活に使えるように実践稽古(臨床)をしながら研究する会です。

またこの「合気」について研究を進めていくとその過程で「ぶつからない力」というものが発見されます。
(※一般には「透明な力」と呼ばれている技術を当会では「ぶつからない力」と呼んでいます。)
この力は物理的に極めて効率の良い力です。
スポーツのプロ選手などがあまり力を入れずにすごいプレーをしている姿を見たり、90歳代のお年寄りが現役でスキーをやっているというような話をニュース等で聞いたことはありませんか。
そういった人達も知ってか知らずか、そういった力を使いこなしていると思われます。
普通に生活できる筋力があればちょっとした訓練で誰でも多少は使うことができるようになるものですが、普通の発想ではなかなか気がつかない特殊な能力です。
こういった力をスポーツや武道や実生活へ応用することも可能です。

<活動の内容>
稽古の内容は、一般で行なわれるような型の稽古は致しません。
「合気」と「ぶつからない力」が発見・習得されることを目的とした単純な稽古や座学を繰り返すだけです。
私は元々スポーツに応用しようと学んだことがきっかけであり、武道経験者ではありませんので、「合気」と「ぶつからない力」以外に武道の技的な稽古は残念ながらお教えできる立場にありません。
ただ、「合気」と「ぶつからない力」がご理解いただけてからは、稽古の形態は定めませんので、武道経験者は危険のない限りいろいろ試していただいて構いませんし、私も経験者の方から学ばせていただきたいと思っています。
何か身体を動かすことをやっていて、「なぜ力を入れない方が上手くいくのか?」理由はわからないけれどもそれに気づいた人・・・今更、新たに武道として習うのも気が引けるし、目的が違う・・・けれども「合気」や「ぶつからない力」に興味があって、その正体を掴みたいという人におすすめです。
とりあえず武闘的な稽古はあまりしない予定ですので、力に自信のない方でも気軽に参加していただけます。

私もそういった「合気」もしくは「ぶつからない力」と思われる現象を本会の稽古で多少はできるようになりました。
でも実践で扱うには素人同然ですので、一緒に研究できる方を探しています。
単なる興味でも構いませんので、お気軽にご参加下さい。

<参加費用>
参加費用は1回につき、100円とさせていただきます。(教材費等)
すでにある程度お出来になる方は参加費用は要りません。
稽古会場は原則、私の自宅の客間で行いたいと思いますが、自宅まで遠い方や参加人数の都合等で別の会場を用意する場合は、会場の借上げ料金は別途、参加者で均等に折半とさせていただきます。

<活動日>
基本的に土日の日中を予定しています。
どうしてもご都合がつかない方は平日の夜等も相談にのります。
お気軽にお問い合わせ下さい。

<経験者の方>
武道経験者の方は私が相手では不十分な場合もあると思います。
もし実践(実戦)的に稽古されたい方は本部への取次ぎも致しますので、
お気軽にお尋ね下さい。
ただし本部への入会には経験者の方ですと、別途入会金がかかりますので、あらかじめご了承下さい。


<この技術は一体、何に使えるのか?>
「ストレスを溜めなくなれるかも・・・?」
たとえばストレスという言葉は近年になって一般的に使われる外来語ですが、なぜ日本にはそれに該当する言葉や概念がなかったのかを考えてみると、どうも過去の日本人の精神性はこの技術と関連があるのではないかと思われます。
精神的な病・・・例えばストレスですぐに胃をやられてしまうとか、鬱の人、社会に対する不適合の対処についても、有益な智恵や知識がこの技術には詰まっています。
人間の本質の造り(身体と心)を見つめなおすことがこの技術を通して可能です。
というか、それが進まないと、技術としての進歩が起こりません。。。

「少し健康になれるかも・・・?」
健康に不安の有る人・・・例えば、肩こりが酷い、首腰のヘルニアに悩んでいる、腰痛に悩んでいる等の人にはその原因の追究とともにどうしたらそうならないように身体の癖を治すことが出来るかを考えるきっかけを与えてくれるでしょう。
凝らない身体に近づけると思います。

「相性の良いスポーツや場面は?」
現在考えられるものを上げてみます。
・ウィンタースポーツ(スキー・スノーボード)
・サッカーのフェイント(相手をかわす)
・ゴルフ
・ボーリング
・ビリヤード?
・合気道
・剣道
・腕相撲(相撲?)
・仕事(クレーム処理・説得交渉)


<自分の体験談>
少なくとも、自分にとっては、この技術は「これまでにないもの」でした。
私なりにスポーツ等で経験上、「力を入れない方が上手くいく」のはなんとなく気がついていましたし、その原理をより深く理解して、意図して使えるようにしたいということがこの技術をはじめたきっかけでした。
ほとんどの現代人はこの技術の経験がないと思います。
学校の体育でも、親からも、スポーツクラブ等でも教えてもらったことのない力の使い方でした。
親相手にやってみましたが、親もなぜそうなるのか首を傾げるばかりでした。
昔に使える人がいたとして、どうしてこの技術が伝承されなかったのか、不思議に思います。
その理由としては、現在一般に普及している身体の運動理論(身体の動く仕組みの理解と力の関係性)が少し間違っていることと、他にいくつかの特殊な運動理論からなる現象が組み合わさって、1つの現象になっているからだと思われます。
それぞれの現象を使いこなす「瞬間」は誰でもあると思いますが、それを組み合わせて人間に対して、継続して行い続けるという機会が無いために、発見されにくいというのが原因でしょう。
組み合わせた瞬間に「マグレ」と思える現象が起きる・・・その瞬間を逃さずに疑わずどうしてそうなるのか?を考え続けた昔の達人達は生き残るためとはいえ、本当に天才だと思います。
人生の中で自分の心と自分の身体の仕組みについて一体どれだけの時間考えていたのか・・・恐れ入ります。
現代科学ではまだ証明されていない、人体に確実に存在する物理的な原理だと思います。

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たぶん、同好会を作っても、私は参加費用をとらないかもしれません。
私が教える立場では、上下関係なく研究するという目的が達成されないからです。自分も相手も稽古し合うから完全に対等なんです。
自分が浜松にいた先生にそんなにお金を払っていないので、自分がもしとっても千円以内でしょうね。(1コイン・・・100円でもいいや。)
ただ、自分が月1000円で習っていて思ったのは、先生は払いたくなければ払わなくていいと言ってくれていましたが、習う側からすると、タダで習っていると、習っている感覚がせず、いつやめても何も変わらないという感じがして、それが自分的に払う動機でした。
単純にお金を払ったから行かなきゃ・・・という自分を追い詰めるのとも同じようで少し違うというか。。。

-以下、私の体験記-

私を指導してくれた、その先生と向かい合って正座で座って、私が、両膝の上に置いた先生の両手首を上から力ずくで押さえ込みます。
ここから先生が私の押さえに関係なく、腕を上げるという稽古です。
普通なら物理的・力学的に上から抑える方が圧倒的に有利なわけですから、これにはみんな何の疑問も持たないでしょう。
「上がるはずがない!」

しかし先生がフッと手を挙げると、あれっ?という間に、腕を上げられてしまう。
ん?何が起こった??ともう一度やらせてもらう。
しかし、結果は同じく、いとも簡単に挙げられてしまう。
相手にかけていたはずの力はどこへいったのか??

何度かやるうちに挙げられた状態から、フッと横に腕を振られると、何の抵抗もできずに倒されてしまった。

なぜか笑えてくる。身体に力が入らなくて、まるでテレビを見ていて、
笑いのツボにはまって腹を抱えて笑い転げている時のように、
体に力が入らず、転がされてしまう状況に笑えてくる。

仕舞いには、転がされたところから身体を起こそうとするが、起きる力を入れた途端に今度は反対側に転がされる。
どうやっても起き上がるために力が出せずに転がされてしまった。

一旦、その状況になると、もう抵抗のしようがないのです。
ただ、「かんべんしてください」と平伏するしかない。
相手がどうやって、何をしているのか、自分がどうなってしまっているのか、わからないが、とにかく、こちらが力でなんとかしようとしても、どうすることもできない・・・。
相手に力が届かないし、自分の身体を支える力も使えない。
それが初体験した時の感覚です。

なんだかんだいっても私たちは「力意識」の元で生活していますし、
日常、必要に応じて出す「力」は筋力で生み出すものと考えています。
またいくら精神面での平和を説かれようとも、結局「力」に敵うものは無いとも考えがちです。
筋肉隆々の人に対して貧弱な人は力で勝つことはできないというのが、世の中の当たり前の力関係のはずです。
しかし、その筋力の力と考えられるものを真っ向から、無力化して突破する方法があるのです。
それも日常考えているのと明らかに違う、普通では考えられない、思いも付かない方法で。

-以上体験記-

これを利用すると、わかりやすい形では武術、スポーツへの応用や加齢により筋力が減少しても有効な力の出し方がわかります。
おそらく、プロのスポーツ選手は多かれ少なかれ、こういった技術を若いうちから無意識に習得していると考えられます。
また極めて自然な身体使いができないと、この技術の習得が困難なため、身体の癖の矯正や、肩腰の凝り痛みも治ります。
あとは、私も仕事で活用している、もうひとつ非常に面白い効果がありますが、それは秘密です。

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