自分は、合気に関して、あまりスピリチュアルな観点から見ること・語ることを遠慮していた。
それこそ、宗教のように、神だとか、魂だとか、霊だとか、気だとか言っていたら、それですべて説明が終わってしまう。
科学的とは言わないまでも、人間を相手に実験して、ある程度同じ結果が得られるのであれば、理論構成はできる。
おのずと原理の輪郭が見えてくる。
しかし、そこから結果として得られるものが、そういった一般的には理解不能なものに帰結していくこともある。
今まで書かなかったが、
自分の習う合気の技術の先生たちは、
みな、いわゆる不思議なことが現象として起こせる。
いや、この技術の身体になると、それができるようになってくる。
その1つが「手当て治療」である。
昔から「傷の手当て」という言葉などで言われるように、手を当てる行為、その言葉が生まれた背景には、実はそれなりの意味がある。
自分もこの技術をはじめて1年くらいで、少しずつそれができるようになり、
今では、家族内では、この「手当て」で凝りや痛みを当たり前に治療している。
はっきり言うと、なんとなく・・・ではなく、確実に効果があるので、
家族も納得して、それを受け入れている。
こういうことは、一般にはポジティブに受け止められる人でも「まあ、あるのかもしれない」程度の理解しかされておらず、そう表に出ていない情報であり、
「合気の技術の根幹」になるものの1つである。(だから余計に秘密にされる。)
驚くべきことは、これができるようになってはじめて、
「手当て」ってそういう意味なんだ!!
ということに気が付くことだ。
言葉には、実は先人達の発見、経験してきた、現代人が想定できない、人間の真実が込められている。
温故知新とはよく言ったものだと思う。
これから、こういったことも少しずつ書いていこうと思う。
信じるか信じないかは知ーらないっ。
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