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まえがき(利用上の注意点はこちらです。新規さんはご一読ください。)

<〇気上げ>

 〇気を受けた人の感想をまとめてみましたが、もう少し状況を限定して、〇気の現象を見てみましょう。
「座取り〇気上げ」という〇気の練習法がよく知られています。
〇気を鍛錬している人の間では俗に「〇気上げ」と呼ばれるものです。
方法は以下のとおりです。

・二人の人間が向かい合って正座をします。仮にA君、B君とします。
・お互いの両手を自分の膝の上に置きます。
・A君がB君の両手首を上から押さえつけて、押さえられたB君はそれを上に上げます。

という単純な動作です。ただし、上げる側は透かしたり、逸らしたり、勢いをつけたり、不意を突くようなことをやってはいけません。
押さえる側も絶対上げさせないつもりでやらなくてはならず、わざと手を抜くようなことをしても判定できなくなります。

 要は腕を上から押さえさせて上げるという力比べです。
これをやるとわかるとおり、普通は上げる側は絶対に腕を上げることができません。
相手が重さを集中しているとか、多人数で押さえている場合は、その重さが合力となってかかっていると考えたら、押さえられる側は、普通は絶対に動かせるわけがありません。
これが常識的な普通の力関係です。
 しかし〇気を使えば、こういう状況が逆転できることは知られています。
よって〇気という何らかの方法があるということを前提に、上がらないという事実を当たり前と捉えずに、なぜ上がらないのかを少し考えてみましよう。
 もしそばに同じ体格くらいの人がいる様であれば、実際にやって試してみてください。

 上げる側、押さえる側、それぞれの観点で「上がらない理由」として考えられる主なものを挙げてみました。

 ●上げる側の観点
・勢いをつければ上がるかもしれないが、押さえられており、勢いを付けられない
・全力で上げようとしても、力を入れると押さえられてしまう
・上げるには重力に逆らうことになり、押さえる側は重力にそって押さえるだけなので、
 上げる側は不利である
・常識的に無理だから上げてしまえるイメージが湧かない

●押さえる側の観点
・相手が力を入れたら、それがわかるので、こちらも対応して押さえればよい
・こちらは相手よりも上にいるから体重も使えて有利である
・そんなに力は要らない
・上げられるわけがない

 どれももっともな理由で、納得できます。主な理由を2つに絞ってみました。
・力を入れたら押さえられてしまう
・押さえる側は体重をかけられるから有利

これを覆すことなんてできるのでしょうか。
〇気が存在するという観点で、逆に考えてみましょう。

上げる側がなんとかして上げるために、ここから見えてくる常識を覆すための条件は、
・力を入れなければよい
・重力が無くなって、体重が使えなくなればよい
・・・という、もはや実現することが不可能な内容が見えてきます。
しかしできる人がいるということは、何らかの手段でこういったことを実現しているということになります。
 〇気の正体とは一体何でしょうか。

合気の名人といわれた佐川幸義宗範はこういう言葉を残しています。
「合気は力を抜いてしまうことである」「合気は意識の技術である」「力ではない」
※「透明な力」木村達雄(著)より引用


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まえがき(利用上の注意点はこちらです。新規さんはご一読ください。)

<〇気の原理に迫る(前に)>

 まずは、これから書くことの概論として、まとめておきたいと思います。
 〇気の原理というのは非常に簡単です。しかしほとんどの人はそれに気が付きません。
 (身体が勝手にやっていることなので、気が付く必要はありませんしね。)

 みんなバランスをとるときに、たくさん使っている「あるもの」に気が付かないからです。それがあるからバランスがとれるのに、非常に感じにくいために、バランスをとっている力動作や感覚に気を取られて、気が付きません。
 その気が付かないバランス維持に非常に重要なものを、相手からコントロールされてしまうから、どんなにしっかりとした姿勢をとっていても、〇気が使える人には簡単に倒されてしまうのです。

 原理は簡単、しかしそれを使うとなると非常に難しくなります。
なぜなら、その「あるもの」は普段バランスをとるために、体が自動的にコントロールしており、意図的にそれをコントロールすることはありませんし、基本的にできません。
 〇気が使えるようになるためには、それを何らかの手段で意図的にコントロールしなければなりません。


<日常の体験の不思議>

★こんな疑問を持ったことはありませんか?

・子供の頃は自分の身体が軽く感じられたなと思い出すことがある。
・暴れる子供をおんぶする時と、大人しい子供をおんぶするときの重さの感じ方の違う。
・意識のある人を運ぶときと、意識のない人を運ぶ時の重さが全然違う。
・病気の時や、気分が乗らないことをする時に自分の身体が重く感じられる。

不思議に感じても、理由として、

・結局、子供の体重が軽かったから
・その時の筋力の調子によって感じ方が違うから
・意識を集中しているから感じない
・やせ我慢や気を反らしているからそう感じる

と結論付けていては、感じ方が変わることの本質に気が付くことはできません。
 地球上の物理と人間の性質・特性を知った上で、身体を使って研究しないと答えにはたどり着けません。


<〇気の体験>

〇気を体験した人の感想は様々です。
受けた人は、

・力が抜ける。
・つま先立ちになる。
・抵抗しても潰される。相手から凄い力を感じる。
・フワーっと倒される。気持ち良く感じる。
・宙に放り出されるように吹っ飛ばされる。

また〇気をやる側は、

・撫でるようにするだけで倒す。
・倒れた状態から起き上がれなくする。
・数人で押さえ込まれても一瞬で簡単に全員を倒してしまう。

 などなど・・・この技術を受けると、人によって、状況によって様々な状態になります。
傍から見ていれば、まったくヤラセにしか見えないことばかりです。
 私が受けた時の主観的な印象は、

 ・全力で抵抗しても簡単に倒されてしまう。
 ・ありえない。
 ・力が入りにくくてどーすることもできない。
 ・不思議だ。
 ・今まで体験したことのない感覚だ。

 私がやった側では、

 ・相手の重さや力を感じない。やった感を感じない。
 ・簡単に倒せる。わざと倒れてくれているんじゃないか!?
 ・力を出す(力む)とできない。
 ・頭を真っ白にしていると成功しやすい。

といったところでしょうか。
 これら全てを説明できるような、人間がどうあっても抗うことができない現象とは一体何なのでしようか。

まえがき<<<      >>>メイン<<<     >>>「〇気について」(その2)

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 久々の〇気関係です。
もうブームも下火でしょうし、ここらへんで書きためたことや、思いためたことを書いてみます。


<まえまえがき>
利用上の注意点です。以下のことをご理解の上、ご利用ください。

・自分の体験から感じたこの技術(〇気)の原理と思われるものを文章化した。

・よりわかりやすくすることに重きを置いた。
 当然、語弊があるし、例示の不適切さもあると思う。

・物理学者でも科学者でも武道・武術家でもないので、根拠はない。
 私が構成した「理」をまとめたものである。
 勝手に物理理論等を引用している部分は私の勘違いや解釈違いの可能性が大いにある。

・文体として「言い切り」しているが、当主張がこの技術の真理で、他が間違っていると
 いうつもりは全くない。ただの私見である。

・今後もよりわかりやすい説明方法、引用、例示が見つかれば、その都度修正していく
 つもりである。

・この解説や鍛錬手法を真似して、怪我や事故があっても、当方は責任を持たない。

・大した内容ではないが、一応、無断転載、無断複製を禁ずる。
 もし使いたい箇所があれば、当サイト名及びURLアドレス等を掲載の上、
 引用されたい。
 
<まえがきとして>

 わかりやすさを重視し、日常によく起こったり、感じられる例えや言い換えを多用して、なんとか説明してみようかと思い立ちました。
 自分は何かの組織に所属して、口止めされていることもなく、しがらみもないので、ある意味書きたい放題だし、勝手な表現もしたい放題なので・・・。もちろん、自分の書くことが理屈が通っているとか、科学的、論理的根拠があるわけではありません。
 ただ、重ねた時間や考え続けていることをここいらでひとまとめとしてみようと思います。

 日本では銃による犯罪は少ないものの、刃物で刺された、暴力を振るわれたなどという事件は後を絶ちません。
 仙人のようにお年寄りが若者を簡単に倒してしまう方法があったら、知りたいと思いませんか。男性は肉体を使った技となれば興味を抱くでしょうし、女性は護身という意味で関心が湧くかもしれません。
 肉体を使った争い事が嫌いな私は、そういった世界に縁がなく、20代の後半になるまで、こういった分野に一切興味を持ちませんでした。しかし全く違う分野であるウィンタースポーツ(スノーボード)の上達を目指したことがきっかけで、この分野に自然と足を踏み入れることになりました。
 人間の身体とは不思議なもので、まったく別の分野のことをやっていても、根っこの部分では共通しているなんてことが結構あったりします。
 以来、この技術の虜になってしまった私が、この分野に興味を持った人の技術向上の近道になればと思い、私なりにこの技術の原理と思われるものを書き残そうと思いました。

 人生のすべてのことは、この身体で行うことです。この身体があっての自分です。それは誰にとっても同じはずです。
 でも肝心の身体については、誰も使い方も教えてくれないし、取り扱い説明書もありません。  
 わかっているつもりで、なぜ動いているのか、身体のことを何もわかっていません。不自由がないかぎり、わからないものをわからないまま使っています。
 自分の身体は自分で開拓して、より良く使って、健康に長生きしなくてはなりません。
 人生の基盤となる身体について知ることは、人生のどんな場面でも基本になることで、誰にとっても有益なはずです。
 この技術に一見、興味がない方も、「身体とはどうなっているのか」と、そういう視点で読んでいただければいかがでしょうか。
かならず今後の人生の中で「なるほど!」と思える発見や驚きや納得に出会えるはずです。

 この技術は様々な呼ばれ方がありますが、主な呼び方として〇気と呼ばれることが多いようです。合気道という武道の名前はみなさんも聞いたことがあるのではないでしょうか。
 〇気の起源については、諸説あり、よくわかっていませんが、人間の能力を使った特殊な技術として現代に引き継がれています。
 剣術、柔道、柔術、合気道等の不思議な達人技の一部はこの〇気というものがベースになっており、身体を使って、カのない者が、大きく力強い者を倒せる方法です。
この原理とこれを可能にする方法論(技術)について記したいと思います。

                           >>>第1章 「〇気について」

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無重力状態は人の脳に無気力状態を引き起こすことがあります。
つまり無重力状態は宇宙飛行士たちは上下の概念を奪うだけでなく、与えられた仕事を終わらせることさえも不可能にしてしまうのです。
宇宙飛行士に起こるこの変化の理由は解明されていませんでしたが、NASAはこの原因を探る基礎研究を始めました。

無重力状態は意思決定に影響を及ぼし、地球にいる時よりも考えることを難しくするようです。
NASAは宇宙飛行士がミッションを行うごとにMRI等を用いて、その前後の 脳の状態を調べることにしています。

→ようやく研究が始まりますか。
 無気力というか、発力の実感がないから、相応する気持ちを感じないからでしょうね。
 脳の使う部分も変わると思います。
 眠りも浅くなりますし、いろいろな不調が現れます。
 科学的に解明されることを祈っています。
 てか、これらの不調から脱出するのに、今精一杯ですよ。
 絶対に鍛えとかないと、ダメですね。

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意識シリーズもとりあえずこれが最後の寝言かな・・・。


通常の力は筋肉の収縮の結果で発揮されるから、必ず出力に終わりが来る。
その時に、意識が必ず切り替わって新しい意識に変わってしまう。
力を出し直したらその時点で、前の意識は途切れてしまっている。
力と意識はそういう連動をしている。
では、意識の途切れない力とはどのような力なのだろうか?
 
 

集中を「他のことを考えない」と表現しては、片手落ちになる。
「1つのことを考えたり、やり続ける」というのも説明しきれていない。
1つの動作内で「同じこと」を考え直しても駄目になる。
1つのことを1つの意識の中でやり続けることが集中の真の意味であり、その時にはじめて集中の効果、真価が発揮される。
意識の切り替えがなく、一意、一意識の「時間を長く続ける努力」をすることが本当の集中力を高めるということであり、余計な情報を仕入れないとか、余分な物を排除するというのは、その前段に過ぎない。
感情や思考で集中している実感を作って「今、俺すごく集中できてる!!」なんてのは、以ての外。
集中という言葉1つとっても、人それぞれの理解の度合いの違いがある。
そしてそれはその人の人生に現れてくる。 

人間は頭を使うことであれば、案外意識を切り替えないで取り組むことができる。
例えば、身体からの刺激をリラックスすることで極力減らして、没頭してテレビでも視ていれば簡単にできる。
あっという間に時間が過ぎれば、それができたことが結果として分かる。

1つの意識が続いている感覚も、あっという間に過ぎる時間感覚もどちらも個人の内部感覚であって、他人と共感はできない。
ただ1つ・・・共感できる可能性があるとしたら、〇気を掛けてもらって、その最中に自分の意識状態を確認することだ。
この言葉にならない感覚の意味と理解がどれだけのレベルでできるかが重要になる。

これは身体を使うとなると、途端にできなくなる傾向が強い。
現物のない頭の中の情報処理と、現物から物理的に来る情報処理では難易度が全く違う。
現物の身体にかかる内側からの情報も外側からの情報も全て生命の危険回避に関与するからだ。
しかも人間相手であれば、現物にかかる外からの力というのは、変化もするから、身体への刺激もその都度変わる。
どんな状況であろうとも意識を切り替えない身体の動きというものをものすごく鍛えなければならない。
「肝が据わる」とか、「身体と心の一致、統一」というのは、ここらへんのことを言った言葉だろう。
こういう観点(レベル)で理解ができていなければ、この手の上達はなかなかできない。

こういったことを子供の頃から勘で自分なりに区別して、やってしまう人がいる。
今頃気が付いた私にとっては、信じがたいセンスを持った人達だと思うし、それを時間をかけて大人になるまでに発展させられるのだから、うらやましい。足元にも及ばないし、ずっと発展されたら一生追いつくことはできない。
しかし、知ってしまった以上、自分なりの発展は諦められない。
意識は一生鍛え続けることができる。

ZZZ。もっと寝たい。

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