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寝言ばっかですみません。
でも寝言くらい自由に言わせてください。

意識シリーズの続編。

目を開けて同じ意識を続けること自体が現代では社会的に推奨されていない(異常者・異端者に見られる)から、ほとんどの人は寝ている時を除き、日常生活で同じ意識を続けているのは、長くて精々数秒程度だろう。
常に新しい情報、流行りの情報にいつでもアクセスできるような端末が流行っている時代だから、尚更、環境的にも同じ意識を続けることは難しくなっている時代でもある。


切り替わり目が意識を新たにして、認識をしたタイミングになり、これを重ねることで、人間は時間の長さ(流れ)を感じている。
同じ時間の長さでも子供の頃の方が長く感じたように、決まった一定の時間の中でどれだけ意識の切り替えをしたかで、時間の長さの感覚は変わる。
 

何かに没頭していると、他の刺激を無視して、意識の切り替わりの少ない時があり、この場合は、時間が短く感じられる時が多い。
(ここらへんを「楽しいことは短く感じるよね~」レベルで捉えていたら、一生気が付かない」)

逆に連続する痛みの感覚や、嫌だという感情を抱えて、無意識にいろいろ感じたり考えたりをしていると、意識が細かく切り替わるので、時間が長く感じる。
 
エレベーターは乗っているときよりも、待っている時の方が圧倒的に長く感じる。

夢の中でも意識の切り替わりというものがあって、何度も意識が切り替わるとまるで沢山の時間を過ごしたように感じるが、実は一瞬寝落ちしただけだったということが起きる。
逆に意識が切り替わりにくい内容の夢を見続けていると、経過した時間の割に寝た時間が短く感じられる。

意識の切り替わり=体の刺激の切り替わりになるので、身体の感性の刺激を変えてやって、切り替わりを上手く使うと、気分がリフレッシュできる。
いわゆる気分転換というやつになる。

同じ感性からの刺激は比較的、同じ種類の意識が長く続きやすいので、身体も同じ部位を酷使しがちになり、それが身体の疲労に影響している場合は、全く違う刺激を取り入れた方が良い。
例えば、仕事で似たような意識を毎日続けるよりは、意識を全く切り替えられるような趣味の時間を持った方が、身体を使ったとしても、同じ意識を続けるよりは疲労が回復しやすい時がある。
そういう意味で意識のコントロールは健康にも寄与する。

いつもと同じ24時間なのに、新鮮で新しい刺激を受けたり、沢山の意識ができると、人間は充実した感覚を受ける。良くも悪くも。 
こう考えると、子供の頃はほとんどが新しい経験ばかりで、大人からは考えられない程の意識の切り替わりを繰り返していたのだろう。記憶喪失にでもならない限りはもう戻れない。

人生を豊かにする秘訣が意識の使い方には確かにある。

ZZZ・・・。二度寝したい。

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最近、ガンプラも作ってなくて、他に書くネタがないので、
くだらないことを書き連ねる・・・


「意識の継続」というと、一般的には、意識がある状態(覚醒状態)が続けば継続していると思われているが、実際には意識は目まぐるしい程の切り替わりを繰り返している。
ちょうど蛍光灯が秒間に50回とか60回の点灯を繰り返すことで、人間の目には継続して点灯しているように見えるように。

これは人によっては、「認識の切り替わり」と表現した方がわかりやすいかもしれないが、正確には・・・やはり認識ではなく、意識であると個人的には思う。
なぜなら認識という言葉は、認識していることが認識なので、認識できていないものは「無い」ことになってしまうからだ。(意識には無意識という存在するが認識できない概念が存在する)

この切り替わりは無自覚にしてしまう生理的なものに近い。
例えば瞼を閉じたり、目線を移動したり、何か音が耳に入ったり等、些細な肉体の行動変化で意識は切り替わってしまう。
視覚や聴覚の影響は大きく、現実社会をまともに捉えたら、一時も同じ意識でないくらいにすぐに切り替わってしまう。
これは目に見えたり感じられる動作だけでなく、脳の使い方でも一緒で、思考や感情でも、1つのことを抱き続ける実感があっても、実際は頭の中でグルグルと何度も思い直したり、思い返したりして、その都度意識が変わっている。
思考している感覚や感情を抱いている感覚(思考覚、感情覚と私は呼んでいる)がある以上、それも身体が起こす刺激となり、意識の切り替えを促すことになる。
別の表現をすれば気がつかずに、何かに「気を取られている」が近いか。

つまり、体内の生理的情報でも、体外から来る情報でも意識は切り替わりを余儀なくされる。
その都度意識は切り替わって新しい意識に変わっているが、自覚認識しているトータルの目的が変わっていなければ、殊更意識が細かく変化しているとはほとんどの人は感じない。
 

意識と力は連動しており、この意識の切り替わりが自分の発する質量Eの状態にダイレクトに影響するのだから、何かを感じ取っている以上、それは体内でのエネルギーのぶつかりが生じていることを意味するので、無自覚にどれだけの力みが生まれているのか、考えると恐ろしくなる。
とはいえ、通常はその力みこそが生きている実感で、喜びであり、健康だという証拠にとられるのだろうが・・・。

ZZZ・・・。

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プロのスポーツ選手の動きを真似しようとしたことがある人ならわかると思うが、私もボードで上手い人の真似をしようといろいろ研究しやってみたが、結局上手くいった時は、「自分には無理だ」とあきらめて何も考えていない時だった。

その時、身体とは一体どう出来ているのか、全く不可思議に思えた。
一番長く付き合ってきて、知っているはずの自分の身体のことを何も理解できていないことを知った。
気持ちというか意識というか、そういったものと身体との間に何か不変の法則みたいなものが確かに存在する手ごたえはあったが、それが何なのか、どうすれば使えるのかが、さっぱりわからなかった。
 

それまでは動画をスロー再生やコマ送りして動きの手順をトレースして覚えたりもしたが、結局そういった分析自体は、その意識をそのまま持って現場に行っても、やる段になると何も意味がなくなる。(もちろん、トレーニングやイメージ作りには有効だとは思うけれども。)
 

意識したり、考えながらやると、動作は繋がりを無くして、別物になってしまう。
そこまででなくても、一連の動作のどこかで意識の仕切りを入れるだけで、どこかぎこちない感じになってしまう。
まるであらかじめ動きをプログラムしたものをただ再生するように、1つの意識の中で動作が完了してはじめてスムーズで実効的な動きになる。
1つの意識を継続するためには、体が発する刺激を意識してはならないし、自ら意識するようなこともしてはいけない。外からの刺激も意識してはならない。 
意識すべきは、目的や、目的までの一連のイメージ、または漠然と成功しているイメージだ。
そして1つの意識で臨めたとき、身体の発するエネルギーは桁違いに跳ね上がる。
引き換えに身体が力を出しているというフィードバックは得られなくなる。
まるで身体全体のエネルギーが1つの目的に向かう感覚。
身体がバラバラに動くからこそ、体内の力のぶつかりを自分が外に出している力と感じる。しかしそれは同時に大きなロスを含むということ。

1つの意識とか、成功のイメージと言うと、哲学とか、宗教とか、「引き寄せの法則」に似ているように思われてしまうかもしれない。

哲学は確かにあるかもしれないが、あくまで実体験でやっている体感を言葉にしている。
家は仏教だが、私は特に信心深くない。

ちなみに私は「引き寄せの法則」は好きではない。
あの原理(実際は原理までは書いていないが)は人間構造上、確かに当たっている部分があると思うが、どうも・・・個人の欲を刺激させる内容に終始している。
お金持ちになりたい、成功したい、素敵な恋人が欲しい等を個人的に願ったとすると・・・お金に例えると、資本主義では誰かが儲かれば、誰かが必ず貧乏になるという物性の対面に目を伏せる生き方になる。
こういう考え方では、ネズミ講と一緒で、限られた富を奪い合うだけになってしまう。
社会全体を俯瞰しての倫理や、人間の価値観は相対評価であることや、陰陽思想等が考慮されていない感じを受ける。 
私はこれには価値を感じない。

ZZZ・・・。

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7月号の秘伝誌の〇原さんの特集はすごく面白かった。

ようやく登場してくれましたね。満を持してというか。

写真が多くて非常に良かった。

ウワサでは聞いていましたが、まるで〇川宗範をそのまま見ているような感じの掛け方で

〇川宗範のこれまでの写真では見れない角度から、撮影されていて、非常にわかりやすかった。

そして、またいろいろと気が付かされた。

有難い。

こういうところからどれだけの情報が取れるかが重要だと思う。

この方が動画を残してくれたら、いいのになぁ・・・と思ってしまう。

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身体は現在しか捉えていないし、脳の情報を全て現在のことと認識する。

脳は一応概念上の過去や未来の情報を参照するが、それは現在には存在はせず、そういう想定をした情報を身体は現在の対応すべき情報と認識し、作動する。

脳の中ではそういった情報があっても、物体である身体には過去や未来など存在しない。
時間流というものが本当にあったとして、過去や未来の時間軸上の身体は存在するかもしれないが、少なくとも過去や未来の身体を現在操れる状態にはない。
現物は現在にしか存在しない。

つまり過去や未来の何らかの情報に対処をしなければと思うだけで身体は脳に浮かんだその情報を「現在の情報」であると認識し、対処を始めるので、「力は出てしまう」。

最近、大して身体を動かしていないし、それなりに寝ているのに身体の疲れが取れない・・・ということがあったら、過去の失敗や恐怖、または未来の不安にとらわれて、身体が無自覚に対処をしようとして過疲労しているのを疑った方が良い。

それだけ身体は良くも悪くも敏感に脳内の情報を現実世界に反映してしまう。
ということは・・・これは逆利用できるということも示唆している。
脳内で作るイメージだけで身体がそれを現在本当に起きている情報と認識するのであれば、逆利用の効能を知っている人間からすれば、こんなに有難い誤認識機能を使わない手はない。

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