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〇気の鍛え方と現実的利用の総論

・力を届かないようにしてしまう
 →自分に〇気を掛ける。力を内側に入れてしまう。外の力に抵抗する力が自分に発生しなけれ
  ば、相手の力を感じることなくアース(力を地面に流)している。

・相手の力を抜いてしまう
 →相手に〇気を掛け、相手内部に相手が意図せず、気が付かない斥力を発生させアースを機能   
  不全にさせる。すると相手はバランスを取らなければならなくなって、意図して外への力が
  出せなくなる。こちらに向かって力を出すとしたらしがみつくしかできない。
  相手に〇気を掛けるには、自分の力を内側に入れつつ、アースしないようにする。

   
 
 
  
これらの具体的な鍛え方は・・・
 腕立ての姿勢で耐える→片腕の姿勢で耐える→片腕を動かしても耐えられる→指立て
 足1本で立つ→1本足を動かしても耐えられる→つま先だけ
 ※なお、必ずしも体内に納めるのではなく、1G以内で周辺空間フローをしても
  有効にバランスを維持できるなら可となる。

  電車内で言えば、横Gが掛かっても足から力を逃してその場で耐えられるようにすること。
  力の方向に対して鉛直を保って、アースさせて外に出さない。
  
  さらに力を頭上にも逃がさない。
  これらが相手の力を届かないようにする鍛錬になる。

  電車内で、Gがかかった時におっとっと・・・とつま先立ちで力を逃そうとしている状態
  が、〇気に掛けられてつま先立ちになった状態と同じことになる。
  空間に発生する引きGに対して身体の位置を維持しようと抵抗して足元(床)に力を逃がそ
  うすると、自動的に応分の反力(斥力)を得てしまうが、その力の座標が体内に収まらない
  と、頭上を越えて上に出てしまうため、上から引きGがかかって、つま先立ちになってしま 
  う。つまり体内で釣り合わずに斥力が過剰で頭上の空間に力が外れてしまう。
  普段、斥力(頭上に向かう引力)の実感がなく認識できないため、ほとんどの人はこれを鍛
  えられておらず、簡単に力が上に抜けてしまうし抵抗できない。
  (地球上で引力は常に下に向かって掛かるから、逆は普通鍛えられない)
  この仕組みが無意識に発動し、体内の斥力の掛かり具合や位置が自覚できないから、
  通常はこういった理解はされず、なぜつま先立ちになるか勘や経験でそうなるのはわかって
  いて、身体的には自然な作用に感じるのに原理が思索できない。
  力の性質がわからない上に、常識のどこを探しても説明するものがないため、
  分析するための糸口が見つからず理解が進んでいかない。
  物理では説明ができても、それが実際の人間の身体のどういったことに当てはまり、その時
  どういった感覚があるのかの整合が図れないととても気が付くことではない。
  こんなことを考えるきっかけがあって、考え続ける暇のあるやつか、天才しか気が付かな
  い。


  もう1つの相手の力を抜く方は、〇気を積極的に掛けることになるので、どちらかというと
  技術論に近くなるが、
  その場の受けなら・・・

  横Gに対しては、空間があれば動いて対応できるので、
  電車で言うと、身体から外れる横Gに身体を連いて行かせて、体内から座標位置を外さない  
  のが鍛錬になる。
  縦Gについては、動く空間がないので、地面に落とさない。(アースさせない)
  要は相手との相対的関係性で相手の行為を無にする方法。


  攻めるなら・・・
  ・動きながら上記受けの際の力抜きを維持し続ける
  ・関節技、目つぶし、騒音(感覚封じ)
  ・相手との物理間合いのコントロール
  ・気合、発声
  ・武器・風貌
  ・地形・地勢の利用
  ・味方を数多く作って配置する
  ・多くの情報を一度に入力する
  で、相手の使える重心範囲を狭くして相手の意識ないし無意識を内部調整に向かわせる
  (不安定と思わせる=バランスをとろうと)させれば、外に力は出せない。


  広義で言えば、これら全てを意味が分かって駆使すれば、全て〇気となる。
  昔から戦術で使われていた方法そのものですな。
  そしてこれは個人だけでなく、組織を相手にも機能する。統制がとれた組織ほど、
  〇気が効く。

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身体には身体の外に1G以上の力を発揮するための筋肉と身体の内部で1Gの力を維持調節運用するための筋肉があると例えるとわかりやすい。
地球の引力に逆らうように外の筋肉を使って1Gを越える力を発揮すれば、筋肉は断裂して筋肉痛になるが、内部の筋肉を使うと1G以内で普段身体を動かしていることすら意識しないくらいなので、筋肉痛は起こらない。むしろ内部の筋肉を鍛えると、水泳の後のように全身がだるく疲れるという傾向がある。(勘の良い方はここからいろいろ気が付くと思う)
この内部で力を運用する筋肉は力を釣り合わせて身体を立たせたり、バランスを取るために力を身体内部に収めるような働きをする。
この内部運用の筋肉を使って(本来は役目とは違うが)身体を自在に動かせるようにして、逆に外に力を発揮する筋肉を脱力し続けて、身体を造り変えてしまう。
しかし残念ながら・・・普通に動けば、外に力を発揮する筋肉を使う方が脳にとって楽で効率が良いから、内部の筋肉から外の筋肉に自動的に切り替わってしまい、しかもこれが無意識で意識で認識されない短い時間で切り替えされるからほとんど自覚されない。
よって最初は1Gを越えないように意識的に力を抜いてゆっくりと動くことでしか、この内部で運用する筋を使った動きは養成されない。
なお1Gを越えなければ、この内部で運用する筋を使って力を外に出したり、出し入れすることは構わない。

身体の内部でこの力=質量の移動管理が早くできるようになると、多少速く動いても常に内部で力を釣り合わせた状態を維持したまま動くので、外に1Gを越えた力を発する筋肉を使わずに動けるようになる。
そうなると、他人からすると動くためには力を外に出す(動きが伴う)はずであるが、それがないので、動いているのに動いていないことになる。
動いていることは見えるのに、引力(1G)で固定された自立物体が目の前にあるが加速度が加わっていない(変化しない)から、自分に危害が加わることはないと無意識は判定するので、それに対応する行動がとれなくなってしまう。
対応ができない分、自分の動作や判断に要する時間が長くなるので、相対的に相手の動きを速く感じる。意識の持ちようによっては、時間が止まって、コマ落ちしたように相手の動きを見失ってしまうこともある。(黒田〇山先生の〇える動き)

〇拳の〇向斉がただ立っているという鍛錬で強くなったのは、本当にただ立つだけの身体になったからであろう。
その心は・・・ただ立つとは逆に言えば、立つという目的以外の全ての部分は脱力して外に力を発しない身体になってしまうことである。
力を水に例えれば、水が身体を上下に行き来しても、まるでパイプのように中の水を途中から外に漏らさないような身体が出来上がるとそうなれる。
水を含んだスポンジのように、外から力を入れて押されると、対応してどこかから水が外に漏れてしまうような身体ではだめということだ。
最初は塩ビパイプのような硬さがあっても、それをだんだんとホースのように、動かしても途中から漏らさない身体に鍛えてしまう。
こうなれば・・・あとは1Gを越えないように意識の濃さだけ調整すれば、確かに「〇拳」の名のとおり、意識で1G重心を中で使ったり外で使ったりと、いろんなコントロールができるようになると思われる。
 
だから手(できれば指先)か足裏からしか力を外に出さない身体に鍛えてしまえばよい。
足裏か指先に力を集中できるようにすれば良い。イコール他では一切力を外に出さない。
これをしながら表層の筋肉を脱力したまま身体を動かすようにすると、力を一切他の部位から外に出さずに内部で力を運用する筋肉が鍛えられる。
良く言われる「先端から動く」とか「指先から気が出ているイメージで」というのは、意識と力の関係性を利用し、意識をそう集中させることで、指先等から力を外に出させて、また同時に身体の他の部位から力を出さないように(パイプ化)させるための実用的な方便であると思う。
気の実感というものは各個人の内部感覚では存在する(かもしれない)ので、気は実在するが、〇気の原理ではないという意味で、S川総範の言うとおり「〇気は気などではない」ということになる。
〇気の一部現象を成功させるための方便、技術を成功させるためのイメージ補完(補足)としては「気」の概念は非常に有効ではないだろうかと推察する。

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女性と稽古をして感じ取るべき重要な点の1つ。

1G以内であれば身体は柔らかい。
1Gを越えて力を出力しようとすると筋が強く収縮し、身体は固まる傾向が強い。

女性の身体が男性に比べて柔らかいのは、筋肉の付き方というよりはむしろ発達の仕方の違いで、意識の使い方の違いに近い。
女性は内を、男性は外を意識する傾向が生殖などを例にとってもそうであるが、どうも遺伝子レベルで根付いているようだ。

女性は1Gを越えない身体使いが得意で、筋を使って力を外に出す加速度的な力の増幅が苦手だから、よくよくビンの蓋が開けられない。(もちろんスポーツ競技全盛の今日、いくらでも例外はありますが、傾向として)
これは男性でも、風邪をひいて筋が意図的に動かせなかったり、寝起きの力が出せない状態だと体験できるはず。

これを考えると・・・晩年のS川総範はカップ麺の蓋ですら開けられなかったが、道場ではバンバン人を飛ばしていたという逸話を彷彿とさせる・・・感じがする。

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思考や感情等の意識的行為と無意識の関係性

意識は一度に多くのものに焦点を合わせられない。同時に2、3が限界。
無意識は1つに焦点を合わせるのが苦手だが、雰囲気を情報の量によらずありのまま記録する。

1Gを越えた筋の使い方は身体を硬くさせるが、筋肉で身体部位をブロックごとに可動させると管理する情報量が少なくなり、微細で力量が同一で情報が多く捉えにくい状態を回避できるため、意識的な管理がしやすい。

結果的に意識は1Gを越える筋力の使い方を得意とし、覚醒時は実感の強いそれが癖になる。

逆に特定の部位の力量や実感を捉えないようにすると、情報量が増大し、無意識でしか対応できず、自然と多くの情報を同時に捉える状態に移行する。

 
特定の情報に注視せず、ただ映すだけになるので、これが外を観た時は観の眼となり、内を観たときは明鏡止水と言われる。

一度に多くの情報を捉えてしまったときと、何も考えていない状態は同じ無意識状態になる。
「大欲は無欲に似たり

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勘違いを恐れずに書いてみる。
感覚と力の関係の一例

通常、皆、目で外界を見ていると思っている。
実際は目は光の情報を取り入れて、脳内で映像を作るための情報収集器官に過ぎず、その脳内の映像を視覚が捉えて、外界の状況を推測している。
・・・と、ここまでは巷にいくらでも解説があるが、重要なのは、目で外を見ているという感覚や癖が抜けないが故に、どうしても眼球周辺の筋肉に1G以上の力を入れてしまうことが多いということだ。

いわゆる「目力」とはよく言ったものだが、目力を発揮していると、力が外に出ているために他人から簡単に何かしようとしている目的の方向や意図を読まれてしまう。
 
また視覚から状況判断することが多く、自然と思考・感情は視覚とセットで情報処理されることが多いため、思考したり、感情を発露する時に目の周辺から額にかけての付近からどうしても外に1G以上の力を発揮してしまいやすく、重心が前に出るため、前傾姿勢になりやすい。

・・・そりゃデスクワークばかりやっていれば、猫背になって腰を悪くするわけだ。。。
(そもそも論で言えば、二足歩行で首を前に曲げた時点で力(重心)は前に出てしまっているが)視覚によって得た情報で、意識に届く前に無意識はほとんど重心制御をやってしまっている。だから目を閉じると、重心制御を圧や触感や体内の重心覚でやらなくてはならなくなるので、ふらついてしまうことになる。
繰り返しになるが、実際は脳内にある映像を見ているだけで、目は映像を作るだけの材料となる情報を取り入れる器官に過ぎないので、本来は目は「情報を得られるだけの状態」であれば良い。
「この目で見よう」とか、思考・感情等と切り離された「単に情報を得るだけの目の状態」を観の眼と言うのだろう。

また脳内に移る映像は、その情報を利用しようと思考、感情等の流れを起こさずに、ただ捉えているとき、ただ外界の情報を映すだけの鏡のような存在になる。
思考・感情という常に脳内に流れる水のごとくを鎮めれば鎮めるほど、その鏡はより明るく鮮明にありのままの外界を映すようになる。これが明鏡止水か。
コツとしては・・・目の付近の筋は常に外を見ようと力を出しているので、見えている映像はあくまで脳内の映像だと解釈して、脳を見るような感覚に変えると観の目に近くなるかな?
こんな色メガネを掛けて物事を見てちゃダメだね。

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