右脳はできるだけ多くの情報を整除なく取り入れ記録するのが機能であるから、右脳を優位にすると、感知したありのままで何もしないから、対処が起こらない。
(右脳は見たまま全体を画像のように脳内に映すことができる)
例えば、腕を上げる側は通常は左脳の意識で「腕」という部分を動かそうとするが、右脳の無意識でやると腕の認識をしなくなり、何となく「特定できない何か」を動かしている?ような感覚になる。
これはイメージで言えば、麻酔がかかった感覚のない部分を動かして(または動かされて)も、身体の実感が極めて少ないので、結果が視覚的にしかわからないのと同じ。
第三者の見た結果として腕が上がっていることになる。
押さえている相手にとっては腕を上げる側が「腕」を上げようとせずに、その物体がそのまま動いてきたときに、「腕」と識別している固有個別のブロック単位の物体ではなく、自動的にもっと細かい・・・例えば「細胞」だとか、「分子原子」だとかいったレベルの何かが動いているということになる。
(身体をブロック単位で認識して固めず、力まない動きというのは、自然とやわらかく細かな動き(情報量が増す)になるということ。あえて認識するならば個体→液体→気体に変化するかのごとく・・・か?)
そうなると、情報量が多くてどうにも対処ができないという脳の情報処理の仕組みの弱点が突かれることになる。
(左脳は意味合いのある対象物として物を見るとき、せいぜい1つか2つ程度しか扱えない。情報量というより「数」と捉えるとわかりやすいか。)
そして左脳では対処できないため、意図的に左脳での対処を続けようとすると、身体は言うことを聞かない。
先に動いた方(上げる側)がこれをやると、後発側(押さえる側)は当然「対処」を迫られることとなり、「対処」をしなければならないということは状況の把握をし、何をすべきかを「確定」し自覚することに他ならず、左脳の発動を防ぎ得ない。
左脳が動けば、普通の力同士であれば対処できるが、上げる側が左脳の情報処理の弱点を突いた動きをしているために、押さえる側は防げない。
身体に対処するための命令が出せない。抵抗するための力が発揮されない。
これが「〇明な力」の原理となる。
物理的性質で言えば外力的性質の力(自然な力)は情報量が多いから防げないとなる。
人間が身体を動かすときには、物理に則しているわけではなく、それだけ不自然な認識をして「身体という物体」を動かしているということがわかる。
普通の力同士では、力の量が大きい方が勝つと常識では思われているが、確かに物理的にはそうなるが人間の身体の仕組みはそうなっちゃいない。
力の量ではなく、力の情報の質を変えてしまうことで、脳は簡単に対応方法を見失ってしまう。
結果、対人間だと力の量ではなく、力の質を変えてしまえば簡単に倒せてしまうという非常に不可思議な現象が起きる。
つまり極端に言えば、力の量で言えば「やさしく撫でる程度」でも人は倒せるということになる。
実際はそれを可能にするには「〇気」を掛けておかないとならないが。
続く
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