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「浮き」について・・・

相手の右脳の反射による抵抗をキャンセルして力を抜くのが「〇気」と書いたが、

力を身体全体に配分するとは具体的にどういうことかというと・・・
力を認識するのは、人体の中でその部分が限られていて、言い換えれば質量エネルギーが通過するかどうかの認識が力の認識ということになる。
それは筋肉組織の内部や皮膚の下や骨と骨の間にある。
そこに質量エネルギーの受容体があって、受容体を挟む組織や骨が受容体を圧迫すると、そこに力が通っていると認識して、それが体内に網の目のように張り巡らされているから、今どこからどこに力が掛かっているということが総体として認識される。
身体に力が掛かったときに、その力は地面に抜けますが、そこから反力(斥力)が得られるので、それを利用(感知)して抵抗します。
こういう力の流れが体内に生まれるので、それを感知して、利用して我々は地球上で「力」というものをつかっています。
地面が無かったら、反力が得られないので、パンチやキックをすることもできませんよね?
こういったことを無意識の身体管理システムは自動的にやっているわけです。
その受容体に対して力が届かないようにしてしまえば、力は感じないし、自動的にそれが物理的にも力が通過しない身体ということになる。
それを実現するためには、身体の中に組織や骨の圧迫・・・つまり、「詰まり」や「ぶつかり」がなくなれば良いわけで、そのためには、身体の中に適度な「間隔」、「空間」を確保することになる。

一時期よく言われた屈筋と伸筋で例えてみると、
屈筋だけを使用することに慣れていると、実感としてはバカになって癖になるから潜在意識化されてしまうが、実際は、屈筋だけでは筋肉の使用に偏りがあって、骨と骨の間隔が狭くなっているところと広くなっているところに差ができてしまっている。
そうなると、感覚の狭いところは当然受容体が「圧迫」を感知しやすいから、それが実感となって、力が通っていることを過敏に感じて身体の管理のルールが作られてしまっている。(実感が強いと左脳が反応する→意識が生まれる)
そこで伸筋を鍛えれば、偏りがなくなり、間隔が適正になるから、受容体が反応しにくくなる。(右脳化しやすくなる→無意識になる)
また圧迫を防ぐために、当然押し押しの身体の動かし方でなく、先から先からという身体の使い方をして適度な「間隔」を維持しなければなりませんよね。
身体は実際は屈筋、伸筋の2元性だけで説明はできませんが、こう書くと例えとしてはわかりやすい。

さてそうやって身体を作っていった場合、どうなるか。
身体の中に質量のエネルギーが分散して存在しているが、まとまった力として通らないから、力を感じなくなります。
となると、体内で上下の力の行き来がなくなるから、相手からも地面からも力を受けなくなります。
もしそんな身体に相手が触れたら・・・相手は攻めるとなればこちらの身体に力をごくわずかでも掛けざるを得ませんが、その掛かった力がこちらの身体は地面に到達しないから、どこかへ消えてしまいます。
消えてしまったら、相手が掛けた力はどこへいくでしょうか?
こちらに掛けた相手の力は、通常は重力に従ってこちらの身体の中を通って地面に到達し、反力がまた相手に返ることで、こちらを捉えている実感を得ています。もっともこちらの身体が通常の場合は地面まで力が通ることもなく腕や肩や腰あたりで止めてしまうために、そこで反力を相手は得ることができます。
しかしもしこちらの身体が力を通々に通す(途中で止めない)上さらに地面には逃がさない場合は、下には逃げませんから、上に行くしかないですね。
そうなると、掛けた力の分の「浮き」が発生します。
相手に「浮き」が発生すれば、相手が右脳化していても、地面が使えないから反力が得られず、抵抗するような反射の身体行動(〇明な力等)がとれなくなります。
そうすると抵抗力を失って、「力抜き」になるわけです。
これは例えば、壁に手すりがあって、寄りかかろうとしたら、手すりがつかめなかった場合、「おおっと」と身体が浮くのと原理的には似ています。
脳は掛けた分の力が「必ず地面に落ちる」=「必ず反力が得られる」と判定している場合に、それが起きないとその力の分に対して逆方向に力を掛けて相殺して安定を図ろうとするからです。そういう反射行動が身体のバランス維持にとって重要であり、それは意図的に何かを攻撃するということよりも自己防衛のために優先的に働く身体管理システムです。
(無重力空間の体験をするとよりそういったことが鮮明になるのではないでしょうか)
結果として、相手が掛けた力がそのまま相手に反射として跳ね返るわけです。

手すりの例では掴み損ねることで、脳の質量の力の情報処理の予測が外れ「スカり」が発生しますが、身体でやった場合に手すりの例と違う点は、スカりが解消されない点です。こちらの身体は依然としてそこに物体としてはありますから、触れている相手はこちらの状態を変えない限り、上向きの力を掛けてバランスを維持しようとする反射行動が起き続けます。なぜならこちらに力を掛けないとその状態から逃れることができませんが、そうして起こす力ですらこちらの体内を伝って地面に落ちないからです。反力が得られない相手はそこから脱出する力を作ることができません。
そうなると浮いてしまっている相手は力を掛けて逃げようとしますが、その力も吸収されてしまうため反力が得られず、こちらの身体に吸い寄せられるしかない。
これが吸い付く「〇気」に発展していきます。
こうやって相手のいろんな反射行動をキャンセルさせ、また誘発させる「何か」を見つけていくことになるでしょう。

自己認識面からこれを説明すると・・・
まず身体が何もしていない状態になれば「浮き」が発生する。
これは地面を捉える認識がなくなるから、眠って床に寝ているときと一緒で、落ちる力と地面からの反力が完全一致して、身体の重心覚認識が出来なくなり、身体が浮いていると無意識が誤認識してしまう。
これは物理力的に一致することが重要であるものの、身体管理の認識上の「浮き」に近い。
物理的?に言うと体内で1G以上の力が起こらない状態を意味する。
この反応は無意識下で起こるため、意識的には変化が認識できない。
この反応が起こっているか起こっていないかが「相手の力が抜けているか」の大きな判断基準になる。
これが〇気とは「力抜き」と言われる所以である。

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「〇明な力」とは、

000000アルファベット00000000

これだと、アルファベットがどこにあるかわかりますが、

0000ア0ル0フ0ァ0ベ0ッ0ト0000

だと、わかりにくくなります。

さらに・・・
0ア00ル00フ00ァ00ベ00ッ00ト0

となると、だんだんぱっと見の焦点に意味合いがある部分が入らなくなってきて、何が書いてあるかは「全体」を見て考えないとわかりません。
でも、そこにアルファベットという言葉の要素が全体として入っている事実には変わりありません。
この事実を相手の脳に動作として行うことです。
例えば、アルファベットが「質量のエネルギー」だったらどうなるでしょう?

意識には身体の物理的な力をコントロールする力があります。
それを集めてわかりやすくして使っているのが人間の力の使い方であり、認識です。
集めてある一定以上の力量にならないと感覚で感じられないからです。
これが「腕」だと。「腕」に力を入れようと・・・。
人間は皆、自分を自分で感じていたいから、実感が大好きです。
実感がまるで自分の証明のようにほとんどの人が感じているように見受けられます。

しかし相手が「腕」だと認識できる範囲に力があれば、相手も簡単にそこに力を当てることができます。
何よりも力の集まる箇所が少ないから左脳の確定情報で簡単に扱えてしまうことになります。
ここで、意識を薄くバラけてしまえば、力のある位置がバラけて分かりにくくなりますが、全体量としては変わりません。
つまり、意識を身体全体に及ぶようにバラけて使えば良いのです。

意識を薄くすれば、単位空間あたりの意識の量は減りますので、当然、バラければバラけるほど、力としては感覚で捉えられなくなっていきます。
しかし元々ある力の総量(質量エネルギー)は変わらないので、相手の身体への物理的影響力は変わりません。
このとき、相手が左脳の確定脳で対処しようとしたら、同値かつ同速かつ複数の力が捉えられずに脳はパンクしてしまい、意識が飛んでしまいます。
意識を多くの対象に向けて散漫化してしまうと、こういう現象が起きます。そして左脳が使えない部分で右脳が働くようになります。
つまり、意識化して感じられないから、力の配分をイメージ(想像力)で扱うようになります。
〇気道等では、そういった意識の形を誘導する手段として、「気」とか、目に見えないイメージの存在を便宜的に使って説明しているのです。

故S川総範は「〇首に力を集める」ということをおっしゃっていたそうです。これは何も普通の力を集めるということを言っているわけではありません。
「集める」ことが難しいから殊更に言っているわけです。
ここで言う「集める」とは、右脳で身体全体に配分した小さな力を相手と接触する部分にしっかり作用するように「力を集める」ということを言っているわけです。
手首を手首として左脳で認識して力んだら、当然相手と力はぶつかります。
力を少しずつ全身に分配したもののベクトルを全て手首に向けて、身体の中を通して手首に集めます。
(言い換えれば、そうやって集まった力は身体全体で1つの力を発揮するので、いわゆるテコとかヒンジ運動にならない、「単体」の力となって、相手は力を止める原因の場所が脳で判断できず、止めることができなくなります。)
だから感覚としては、腕を動かしているのではなく、全身を動かした結果、腕が動いているような感じになります。

相手が左脳主体であれば、「〇明な力」でやれば情報量が多いので、左脳対処できず相手はそのまま倒れます。
しかし相手が右脳対処ができれば、「〇明な力」同士拮抗します。
そこで、相手が作っている右脳の身体管理のイメージの書き換えを行うのが「〇気」です。
これを身体の操作で行います。
「〇気」は何かと言えば、相手が右脳のイメージ処理が主体になっているときに、その右脳のイメージ(想像内容)を強制的に書き換えてしまうことです。
それを身体を介して瞬時に相手に働きかけます。

意識を分散させて薄くすることを鍛えていると、面白いものが見えてきます。
他人の意識が濃くなっている部分が見えてしまうようになってきます。
(薄味派は濃い味がわかりますが、濃味派は薄味は感じることができず、意味合いすら感じなくなってしまいます。)
「〇気」は相手の見えない身体を制してしまうものだと言われているのもこういうことが見えるようになった人間が残した言葉なのでしょう。
他人の意識の濃い場所に同じく濃い意識を当てたら相手は抵抗できます。
相手の濃い部分はむしろそのままにしておいて、こちらの意識を広く分散させて薄く分布させて、そのまま動けば相手は濃いまま倒れるか、無意識化されて、対処を見失い動けなくなるでしょう。
相手は自分の無意識の場所は気が付く術がありませんし、そこがどんな状態であるかもわかりません。
だから無意識部分から攻めるのです。角度が重要ですね。

「〇気」の身体を目指すのであれば、日常のどんな所作であっても、力を感じないように身体全体に配分して意識しないように鍛えていかなくてはなりません。
地球に落ちていることも忘れるほど、身体を軽くしていなければなりません。
誰よりも意識をどこまでも薄く分散させても自在に動けるようになれば、触れた相手にも瞬時に同じ状態が起こり、相手がその状態で身体を動かすことができなければ、倒してしまえるでしょう。
単純に考えれば意識の状態が移るのが「〇気」と言えるかもしれません。

次回は〇気が「力抜き」と言われる所以の「浮き」について・・・かな。
続く

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間接技や相手の身体の一部に動きを制限する技を仕掛けることによって、相手の身体管理上の右脳情報処理(身体管理イメージ)の形を変えたり制限したりして、重心範囲を狭くしたり偏らせることで、相手の動きを制限し倒れ易くしてしまうのも「〇気」の一部になり得るがそれは通常の力もしくは「〇明な力」の作用がないとできないことである。

本来の「〇気」は離れていようと接触していようとこちらの身体の状態を特定の状態に変容させることで、相手の身体管理イメージを変えてしまうものであり、その内容によっては触れずに相手を倒すことも原理的には可能になる。ただしその内容については故佐川総範のような達人に聞いてみないとわからない。なんせ触れただけで吹っ飛ばすのだから、触れなくても相当な影響を及ぼすことが可能であったと推測される。

なお「〇気道」で触れずにのけ反らせてしまうような演武が見られるが、これも「〇気」の一部である。ただし一般には感応と呼ばれる現象である。
この原理はこれまでに説明した中でもわかると思うが、頻繁に稽古する相手とは技の掛け合いの中で、無意識がその因果を覚えてしまう。
ここで言う因果とは「相手が身体をどう動かすと自分の身体にはこういう反応が現れる」ということで、簡単に言えば稽古の技という行動を繰り返すことで生じる身体管理イメージ上の癖のようなものである。
相手が「〇気」を掛けて、右脳化をさせると左脳が働きにくくなるため、「相手がどう動こうが、自分は自分で自由に動けるし影響を受けない」という通常の情報処理をすることができないか、またそれが認識できても身体が言うことを聞かず、身体管理上のイメージがむき出しのような状態になってしまう。その状態でいつもの稽古の技をして相手が技のモーションをすれば、当然「癖」が勝手に身体に反射として現れてしまう。(繰り返しになるけど、酔っぱらって記憶が無くても家に帰っていることってどうして?って考えると?)
(頻繁な行動は脳の中の記憶情報が濃いから反射行動が身体を支配しやすい)
だから離れていても視覚情報や聴覚情報で掛け手の技が確認できると掛かってしまう。

もちろん会うのがはじめての相手にはその「癖」がないため、こういった反射は現れない。
だからはじめての相手には「〇気」が掛かっていないかというと、掛かってはいるが掛け手の動きに連動した反射動作が決まっていないため現れないというだけであるので、接触して触感や重心覚に対し直接イメージの書き換えをすれば「〇気」に掛かる可能性は高くなる。
はじめての相手にも容易にかかるようにするためには、環境により身に付いたり付かなかったりする癖ではない、人間として生きる上での誰でも身に付けている当たり前の反射行動の中で、相手を制する上で有利なものを、自分の身体でどう表現すれば掛かるのかを研究する必要性が出てくる。「〇気」を発見するとはそういうレベルで、相手の身体に有効に効くものを追求することになると思われる。
これができたときに感応ではない、いつでも誰にでも効く「〇気」が成立する。

俳優やパントマイムや上手いダンサーには表現力というもので、観衆を変容させる能力がある。
これは、身体というものを表現したい状態にもっていくことで、その場における臨場感を醸し出して観衆にその場にいるようなリアリティや錯覚をさせている。
そこでは当然、観衆は相手自身になりきるほど感化されるようなことはあり得ず、相手の右脳は刺激しても左脳は機能しているため、観衆が自覚を見失うようなことはほとんどない。
「〇気」は「〇気」という目的に合わせて身体を練り上げることで、相手の左脳を停止させて、右脳を活性化させて、相手自身になりきるかのような身体操作を実現してしまうところに妙がある。
左脳が停止された相手は臨場感のある幻想を接触した相手の身体から受け取ってしまうのである。
そしてそれを身体が現実に表現をしてしまう。その結果種々の「〇気」現象が現れる。
要は、演じるような表現が実は相手の身体管理の無意識イメージを変容させる上で、大きな意味合いを持つということ。
 
続く

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話は少し脱線して・・・

接触しているからこそ、こちらの実際のタイムリーな身体の状態が相手の無意識に認識されて、相手が「〇気」に掛かることになるが、これを離れた位置でやろうとすると、同じ現象でもただの催眠術と一緒になる。
(まあ・・・催眠術=眠りを促す=右脳化とも言えるからそのまんまだが)
通常の催眠術は道具や言葉や雰囲気等を利用して主に相手の「精神」に掛けることになるだろうが、「〇気」はそういったものではなく、相手にもある「身体」という部位にそのまま掛けるものである。
(相手の脳に掛けるという意味では一緒のことであるが)
「〇気」の身体であれば離れた相手にも一種の催眠術が掛かるが、接触が無い分、完全な連動・連携にはならないため、それをやるためには相手の意識(無意識)を釘づけにするような環境や状況の準備が必要になる。
(相手の左脳(意識)の固定を工夫すると離れていても、相手の動きを止められる・・・足止めの術(金縛り)になる)

ただし、人間は完全な左脳化、完全な右脳化はどうもできない仕組みであるようで、左脳優位でも必ずその中に右脳機能がサポートしているし、右脳優位でもその中で左脳機能が働いている。
それはまるで太極図の黒と白の関係性と一緒である。

例えば眠って夢を見ていても、完全に右脳化してしまっていれば、夢の内容を認識することはできないはずで、(だから夢のほとんどは記憶に残らない)そこにわずかな左脳機能があるからこそ、夢の中でも自己認識を持っているといえるのではないだろうか。

なお前回、走馬灯に触れたついでに・・・時間感覚(間隔)が変容することについて。
最初に意識したところと次に意識したところの間に流れた時間差の感覚で時間が長い、短いを感じている。
だから誰しも人生で経験するように、自覚が生まれたばかりの幼いうちは新鮮な情報ばかりで意識することが多いため、自然と時間感覚は延びるが、歳をとってほとんどの出来事に慣れが生じると、意識されないところが多くなり、最初の意識と次の意識の間で実際は長く時間が流れていても無意識部分に時間感覚が発生しないため、時間が経っていないはずだと感じることが多くなる。このギャップがあるため、歳をとると時間が短く感じる(気が付いたら時間が経っていたという)ことが多くなる。(諸説あるが、この観点では簡単に説明ができる)
また3歳以前の記憶がないのは、その時間の大部分が無意識モードであり、意識されるほどの情報の濃さ(慣れ)が形成されていないことが原因である。(夢の記憶が薄弱なのも同じ理由だね)
(意識は情報の量(濃さと持続時間)で生まれる、自覚されるものである)
だから人は状況により時間を長くも短くも感じるのである。
待ち時間や、嫌なことはついつい意識を沢山してしまうからどうしても長くなる。

続く

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この「〇明な力」で一旦身体が動かされてしまうと、今度は「動かされる側」になってしまうため、身体は危機管理に備えなければならないことを余儀なくされる。

ここからさらに右脳の無意識の特徴である、取り入れた情報のコピー機能により、相手の身体の情報がコピーされることで、相手が何もしていない身体状況であり、情報が多く、左脳の対処ができないことが分かると、身体危機管理のために自動的に右脳処理(多情報対処)に切り替わるという現象が起きる。
(通常の人間同士の関係性ではこれがいわゆるリラックスに相当することになる。相手が何もしていなければ何かの対処をする必要性がないから安心できる状態である(敵ではない)と身体が認識する。このように右脳の無意識は常に相手の挙動を観察し、相手の身体の情報をコピーして、もし自分の身体が相手の身体の状態になったら相手は自分を攻めようとしているのか、自分のとって安全なのかを確認している)

右脳処理に変わると、無意識主体になるから、意識的な情報確定認識ができなくなり、意識の空白が生まれる。
(左脳主体で別の言い方をすれば意識が参照する情報対象が多くなり過ぎて、1つの対象単位に対する認識が薄くなる。意識の絶対量というものがあるとしたら、仮に多くを認識していても1つ1つに意識を分配するから1つ当たりの認識が薄い状態。意識の散漫化。酔っぱらって記憶が無くても勝手に家に帰っている現象はこういうことによる)
それが深ければ深い程、無意識の情報処理の特徴である、自動検索連想が起きるために無想の状態に陥ってしまう。いわゆる夢見の状態で意識がなく、次々に脳内のイメージが記憶により変化する。
(事故に遭ったときに見ると言われる走馬灯と一緒)
それが覚醒状態で起きる。
(言い得る言葉がないが、近い言葉なら白昼夢か?)

その無想状態にどんな情報を入れ込むかで相手の身体の反応を操ってしまうのが「〇気」である。
夢を見ているときは、身体の状況や周囲の状況を無意識に感じ取って、それに影響された内容に見ている夢の内容が簡単に変化してしまう経験は誰でもあるだろう。
簡単に言えば、「身体(の状態)で掛ける催眠術」を具体的に使用していくのが「〇気」である。
前出のように、相手を強制的に右脳化させても、繰り返しその状態を続けることで、相手が夢想状態に慣れると、身体は危機管理のため反射的に「〇明な力」で抵抗できるようになってしまう。
そこで起きながら夢を見ている相手の夢の内容を強制的に変えてしまう。
そうすると、無意識の神経反射で抵抗しようとすることができなくなってしまう。

相手の左脳の意図による抵抗をキャンセルして力を及ぼすのが「〇明な力」
相手の右脳の反射による抵抗をキャンセルして力を抜くのが「〇気」

相手に「〇気」を掛けて、相手の無意識上の右脳の抵抗を無くしておいて、
「〇明な力」で相手の左脳の反応をさせずに相手を倒す。
「〇気」を掛けている状態で動くことができれば、動いた部分では自然と「〇明な力」が発揮される。
(ただし「〇気」や「〇明度」のレベルはそれなりに段階がある)

と仮に整理すると分かりやすい気がする。(分かりやすいが、まだコレは少し違う・・・)
では「〇気」とは具体的にどうすれば掛けられるのか?

続く

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